音楽のシクミがわかると聴き方は変わるのか?

以前書いたものではありますが、それから何度も同じ事をたびたび書いたり話したりする機会があるなあと、でもその中では割とまとまった内容だなと思い(笑)、ここに移してきました。

ふと思ったのですが、作曲のできる人や演奏ができる人は、
そうでない人よりも音楽の聞き方は変わるんでしょうね。
プログラマーやライターの人も、それぞれそうなのかな。

これって、まあそうだろうとは思うんですけどね。

でも現実には人間の脳がデュアルブートにでもなっていない限り(笑)、一人の人間内で同時に比べる事など出来ないので、ホントの所はどうなのかな、って気もします。

個人的な経験では、

中学時代:朝から晩までってカンジでビートルズ聞きまくり。あっという間に全曲制覇。自分ではギターをちょっと弾ける程度。

高校時代:ビートルズほとんど聞かず。でもバンドをはじめたりアレンジとかに手を染め始める。ピアノも弾けるようになった。

って時期を経て音楽学校に通い出してから、またビートルズにハマった時に、中学時代とは同じ音に対する感覚がまったく変わっていた、ってことはありましたねえ。ホントにびっくりしたので、今でもよく覚えてるという。(笑)

でもそれが、自分で音楽を始めたからかどうかはナゾですねえ?年頃としてもいろいろある頃だし。それ以外の要素もたくさん考えられるし、で。

ただ、自分で出来る人というのは、作品のなりたちのシクミを知っているので、分析的な視点を持つ事が出来ると云う事は断言できると思います。

自分の事に関して言えば、いままで身に付けてきた音楽スキルのおかげで、一般的に音楽を対象化*1して捉える事が出来るようになったかなあ、と云う気はします。気、ですよ。(^^;)

さらに具体的に言えば、なぜこの和音なのか、この音色なのか、リズムなのか、というこだわりが発生してくると云う事なのです、仕組みが分かると云う事は。

幾多の音の組み合わせの中から、なぜそれが採用されたのか、と云う点について、ある程度の見通しを立てる事が出来るようになるのではないか?と私自身は不遜にも思う事があります。

意識的な取捨選択が出来ると言う事は、他者の取捨選択の結果にも意識的になることが出来ると言えるのではないかと。もちろんキャパを超えるとだめですが。(^^;)

曲を作ったり演奏したり、っていう行為が音楽の聴き方を変えるっていうのは、つまりはこう云う事なのではないでしょうか。


ちょっと話しはかわって。音楽を正式に学び始めた頃、和声や対位法などの、いわゆる音楽理論といったものに縛られていた事があります。

でも、楽曲分析などをやって行くと、

1.この曲のこの部分はカッコイイと思った
2.何でカッコイイのか調べてみようかと思った
3.カッコよさを生み出す原因みたいなものを発見した

ってことの繰り返しが「定番」として理論になって行くと云う姿が目に入ってくるわけで、理論って言っても、音楽のソレは自然科学のような実験によって客観的に証明できるような絶対的なものではないのだな、と思ったりしたりして。
むしろ、もっと主観的な、個人の快感を生み出す経験則から帰納されてたどり着いたモノというか。どっちかというと、野球のセオリー集ってのに近いかしらん、って事が分かってきたりして、理論の呪縛(笑)から解き放たれたという。

こうやって書くと当たり前の事なんですが、当時はオロカにも気づきませんでしたねー。あと、おおむね個々の音楽理論には適用範囲ってえのがありますよね。オールマイティでは決して、ない。

それらの範囲内でやっている分には、そこそこな内容のものが出来たりするもんですが、野球でもたまにセオリー破りをやると効果的だったりするように、音楽もそうですよね。

まあシクミは分かっていた方が楽しめるかもしれませんが、それは、理論ってことはさておいといて、やはり蓄積された個人の経験則からにじみ出てくるもんだなあ、と。

*1:copy right reserved by 渋谷陽一(笑)