ビートルズ音楽学 (4/100)

先日から「はてな年間100冊読書クラブ」に登録して、読んだ本の感想を、ここ「はてなダイアリー」に書いている訳ですが、必ずしも読んだ順に書いているという訳でもなく。

6月1日にスタートしてから、読了したけど、感想を書いてない本がすでに何冊もあります。そこでとりあえずクリアランスその1!

神々の黄昏

ビートルズ音楽学

ビートルズ音楽学

これは、1973年に出版された、音楽学者がビートルズの楽曲分析をするという体裁の、おそらく最初のモノにして、いわゆるスタンダード。

しかし、なんとも無機的なタイトルですが、英語の原題は「Twilight of the Gods」、ワーグナーの楽劇「神々の黄昏」の引用ですね。このオペラの内容を知っている人にはこの本のトーンが伝わるかもしれません。

日本では、1984年出版となっていますが、うーん、もっと前に読んだ気がするのは気のせいか。まあ私も音楽学生だった頃に買って、何度か読んでます。

もっともここ10数年読んだ覚えがなく、おそらく実家のどこかに埋もれているので、今回図書館で借りて再読しました。

で、それまでなかった内容でもあるし、基本的には、メロディ・歌詞・和音などの要素を中心とした分析を行い、譜例なども用いながら、その楽曲の持つ力に説得力を与える説明を、興味深く読ませます。

語り口は饒舌、でも読み手は取り残されがち...?

でもねえ、これ、普通に読んですぐ何を言っているのか分かる読者って、どのぐらい居るんでしょうか。この手の本の性質上しようがないとも言えますが、感覚的にはたぶん専門書と思って読むほうがいいかも。もしくは、面白さ半減ですが、技法的な部分は飛ばし読むか。

いや、たぶん内容的には、おそらく一般読者を想定して書かれた本だとは思うけど、いかんせん、説明があまり丁寧とは思えないことが多い。というか、どこについて語ってるのかすぐ分からない。いちおう作曲専攻した私でも、えー?これどこの事かな?と楽譜とにらめっこする始末。

ではさっそく、本文から一例。

Your Mother Should Know (p155)

それはポールの「ホエン・アイム・シクスティーフォー」よりずっとリリカルで、ウィットとノスタルジアが同等に混ざり合っているが、バラッド・スタイルの歌として十分に自然なものだ。しかしながらこの歌でさえ、我々を遠い心地よい過去に結びつけるリリシズムは、4+4+2+1に分けられた11小節のなかで、夢のようにミステリアスに展開する。跳躍するAマイナーのアルペジオは、不協和7度[ディソナント・セヴンス]までダンス・アップし、それはあたかもトニック・メイジャーに下がっているように見えるが、さらにそれはフラット7度音となり、我々をその後、Cメイジャーのスーパートニックとして作用するDマイナーへ導く。しかし、このCメイジャーの3和音は終止ではなく、なぜならそれはすぐにAドミナント7thに戻り、その後に続いてGとCになり、そこで繰り返しのために平行長のAマイナーに戻るのだ。


どうでしょう。めずらしく、一曲通した譜例があったので選んでみました。これだと分かりやすいでしょ。説明文は全体的にこんな感じ。これは、私には分かりやすい部類。この先生は説明に教会旋法を使うのが好きで、そんな時はもうちょっとだけ複雑です。この先に「She Loves You」の説明が出てきますが、そちらでご賞味ください(笑)。

この曲の説明では単に楽曲の流れを説明してるだけで、その効果については触れられてませんけど、しかし、こういう書き方ってのは、やはり大いに影響を受けたという自覚があります。昔はずいぶんとこんな作文をしてたと思いますが、でも読み手がみな専門家という訳でもなく、「ここの部分にこんなシクミがある」というような、具体的な箇所を指定しつつ、感覚的にも伝わるような書き方を心がけていたつもりです。

翻訳は大変だったと思うです

あとですね、これは翻訳者を責めるのはちょっとかわいそうな気もしますが、音楽用語をどの程度日本語にするかという苦労が見て取れます。前述しましたが、この本のコンセプトとしては、あくまで一般向けと思われるので、なるべく専門用語っぽさを避けたかったのでしょう。

でも、それが逆に分かりにくくなってるところもあったりして悩ましい。たとえば、ダイアトニックという言葉が頻繁に出てきます。「全音階」と訳してあるけれど(ダイアトニックスケールの場合)、これだと、全部全音で並んだ、ドレミファ#ソ#ラ#ドみたいなスケールを思い浮かべてしまいます。

まあ、そんな意味もあるんですが、普通は、その調固有の音を指します。でも「全音階」からその意味を汲み取るのは超絶技巧を要します。ここは、全部ダイアトニックという言葉をそのまま使って良かったのではないかしら。

そもそも論ですが、日本で音楽用語を使用する上での混乱があって、クラッシック系だと、調・音名はドイツ語、音階はイタリア語、という使い分けが普通だと思います。ポピュラー系だと全部英語ですね。あ、音階はイタリア語も使うか。両者が一緒にやると、ちょっとぐしゃぐしゃな感じになります(笑)。

しかも学校の音楽の時間には、日本語読みも習ってると思います。嬰ト長調、とか。誰が使ってるんだか知りませんが、一応日本的にはこれが正式なの?

とにかくいろんな用語がごちゃ混ぜで、どれをどう使うかと云う問題がある。この本の著者はイギリス人で普通に英語を使って書いてますが、いちおうクラシック関連という事を考えると、日本ではクラシック調のアプローチが望ましいようにも思える。いやビートルズなんだから、英語に準じようよ、とも言える。

いずれにしても、ちょっとした専門用語でイタリア語も出てきますが、専門書だと割り切れば、音楽用語をそのままカタカナで並べても、なんとかなります。でも、一般向けという事になると、いろいろ悩ましい部分があったろうなあ。

ちなみに、巻末には使用される音楽用語集が載ってます。

そんな混乱のせいかどうか、読んでいて意味が分からない所がいくつかあって、悩んだ末に、中古の原書をamazonさんで手に入れました。


本書最大のナゾ:キーの正誤

さて、この本には、ちょっと奇妙な特徴があります。中期以降はそうでもないですが、初期の曲は、オリジナルとキーが違う扱いになっているものが多い。というか、ほとんど全部キーが違う。

譜例として使用されているのは、版元のノーザンソングスに登録されているシートミュージックと思われますが、歌いやすくするためか、初期のものは、結構キーが違うんですよね。

ビートルズ80」とか、昔のビートルズの楽譜を知ってる人なら、ああ、あれか、と心当たりがあるかもしれません。このページには簡単に3曲譜例がありますが、全部キーが違います(笑)。


  • I Saw Her Standing There 譜例:C --> オリジナル:E
  • All I've Got To Do 譜例:C --> オリジナル:E
  • Misery 譜例:G --> オリジナル:C

ちょっと興味深いのは、譜例1のみコードネームが振られている点。譜例2以降、最後までコードはありません。ちなみに原書では譜例1にもコードはありません。ひょっとして翻訳時に全部コード振るつもりだったとか?!(そして挫折した?!)

まあ、音の動きを理論説明するのであれば、仮にキーが違っても音楽的な機能は変わらないため問題ないのですが、時には「絶対音」的な事に言及されることがあり、その場合原曲と違うキーで語られても、まったく意味ナシ状態。たとえば、こんな。

初期のビートルズの歌で、最も有名なもののひとつであるShe Love Youはその典型といえよう。それはまさに「ヤア!ヤア!ヤア!」というリフレインの中に、ひとつの主張が要約されている。それはその前でも後ろでもなく、その瞬間に存在するのだ。なぜならこの曲のキイはEフラット・メイジャーで、これはかつてティン・パン・アレイ(ニューヨークの一角、音楽出版社が立ちならんでいる音楽業界のメッカ)で愛されていた曲の調号(シグネイチュア)であるが、オープニングは5音階(ペンタトニック)、あるいはCエオリアン(Cで始まるエオリア旋法)でEフラット調に転調する。そしてその効果のいくらかは上行傾向のシャープ7thと、フォーク・ソングの伝統にあるブルーなフラット7thとの対照によるが、何の不調和も生じずに、この歌は初め、中間、終わりとつつがなく進む。その最終的なギター・コードは、アッデッド6thを伴ったEフラット・メイジャーの3和音(トライアッド)のように見えるが、しかしメロディは根本的にはEフラットではなくCのようである。 (p34)

お気づきな方もあるかと思いますが、「She Loves You」のキーはEbではなく、Gです。おそらく楽譜がEbで書かれていたためだと思いますが(譜例は本書に不掲載)、ティン・パン・アレイで愛されたキーと言われても、ちょっと困っちゃうわ。Ebでティンパン系曲調と言えば、「Martha My Dear」なんか、そのものズバリと思うけどね。

ここで不思議なのは、著者の音楽学者であるメラーズ氏は、楽譜だけで楽曲分析したんだろうか?という事なんですが、実際どうだったんだろうか。レコードと楽譜を比べたらキーが違うことはすぐ分かるはずだけど。うーん。

余談とまとめ

絶対音的な意味で言えば、固有のキーについて、もうひとつ面白い記述がありました。「A Day In The Life」のエンディングについて。

A Day In The Life (p141)

多分、それはビートルズの無邪気な正直さとタフな快活さに無意識に起因していると思われるが、爆発の後、この精神的動揺が奇妙な配置の(第3音が目立ちすぎる)、無限大に延長されるであろうEメイジャーのコードに落ちつく。そのキイは、十八世紀そしてそれ以後に、伝統的に天国と関連付けられていた---もっとも、ビートルズがそれを知っていたはずはないが!

知っていたはずはないって、いやあ、それはどうかな(笑)。私だって知ってるぐらいだから、ジョージ・マーティンがそんな話をした可能性は高いと思いますが。「Ebony And Ivory」も、狙ったな、と当時思ったけどなあ。これもマーティン先生のプロデュースだ。


なんだかんだで、ビートルズ作品の楽曲分析の嚆矢にして、いまだに同趣旨(ここまで楽曲分析的な)の本はあまり見かけません。作品の論じ方での影響も受けてるし、偉大な一冊という事になるんでしょうが、実感としては、ちょっとピンと来ない感じもある、というバチあたりな印象が強い。

そうだなあ、この本を読んで新たに気づいたということが、そんなになかったから?!いや、楽曲の解釈で大いに感心する部分もあるので、それも違う気がする。
まあ40年前の評論で、時代もビートルズへの評価も変わったけど、やはりその時代の空気を背景にしつつ、ここまで詳細に分析した貴重な資料を残したと云う点で、大いに敬意を表したいと思います。