アナログなビートルズを聴く

よしてるさんのダイアリーにトラックバック。こんなイベントがあったので、京都まで行って来ましたよ。


「ことばの使い方特別編―Beatlesの音楽作法」 湯浅学×いしいしんじ
2010年5月15日sat. 14:00-19:00
参加費:3000円(テキスト・おまけ付き)
ビートルズの音楽を聴いたことがない人はまずいないでしょう。でも、ビートルズと聞いてイメージすることは人様々です。そのイメージを世界に拡げるとどのようになるのでしょうか?世界各地でのビートルズの取り上げられかたを検討し、音楽を言葉にすることで新たに生まれるビートルズ像を探ります。
協力:Beat Sound

講師:
いしいしんじ(作家)
1966年大阪出身。三浦半島の三崎と京都に在住。著書に小説『ぶらんこ乗り』『ポーの話』(新潮文庫)『みずうみ』(河出書房)『四とそれ以上の国』(文藝春秋)など、対談『人生を救え!』(町田康共著/角川文庫)、『その辺の問題』(中島らも共著/角川文庫)、絵本『赤ずきん』(ほしよりこ絵/フェリシモ出版)などがある。

湯浅 学(評論家)
1957年横浜市生まれ。各種編集業務、マンガ、写真、グラフィック・デザイン、各種執筆活動にたずさわる。82年に根本敬船橋英雄と幻の名盤解放同盟を結成、因業の歌謡曲の解析、大韓民国のロック研究等を行なう。86年に音楽評論を活動の中心に定める。93年、即興演奏集団わかたけに参加、演奏活動にも力をそそぐようになる。95年、自身のユニット湯浅バッテリー発足。96年、湯浅湾と改名する。
著作『人情山脈の逆襲』、『音海』、『音山』、『嗚呼、名盤』、『あなのかなたに』。共著に『ディープ・コリア』、『ディープ歌謡曲』、『ディープ東京』などがある。

上記告知では触れられていませんが、内容的には、アナログ盤のビートルズを大音量でかけまくる、と云う事が分かっていました(笑)。

と言うのも、以前、湯浅学氏の「あなのかなたに」出版記念トーク&DJショー@青山ブックセンターなるものに参加した際、その実態は、

「アナログモノラル盤を、モノラルカートリッジ&ちゃんとした再生装置でガッツリと聴きまショー」

だった、という経験があったためです。しかし、これがもう、大いに楽しかったと。サイクンの日記にその時のレポートがあります --> 2009-03-29 (日) ゆるゆるDJトークショー

その後今年に入って、「お寺の本堂でSP盤を蓄音機で聴く」というイベント(ホントは「いしいしんじの「その場小説」in 花まつり@曹洞宗 萬亀山 東長寺」なるイベント)にも参加し、これまた素晴らしかったですが、その際に今度はビートルズをやるぞと情報を得たと。

アナログ盤を、それなりの再生装置で大音量で聴く機会と云うのは今やあまりないし、しかも今回はビートルズ特集だったので、はるばる京都まで行く決意をした次第です(笑)。

Beatsound no.13 布袋寅泰/ビートルズ・リマスターCD全曲解説/デジタルファイ (別冊ステレオサウンド)
「協力:Beat Sound」とあるように、機器は別冊ステレオサウンドであるBeat Sound誌の提供かと思われますが、CDと違いアナログ盤の音は再生システムのクオリティに大きく影響を受けるので、今回のような、「個人で揃えるにはちょっと覚悟が要るようなオーディオシステム」での体験機会は見逃せません。

さて、この日のテーマは「同じ曲を何枚もの音盤で聴き、同じ曲なのに違うのはなんでだろうと二人が想像や妄想で語り合い、楽しいひと時を過ごす(笑)」という物でした。

最初は湯浅氏が用意したビートルズの年表に沿って、時代順に音源を聴いてゆくというやり方で始まりました。が、当初の目論見とはうらはらに(?)、あっちにひっかかり、こっちでこだわったりで、予定時間の5時間を過ぎた段階で、Magical Mystery Tourまでしかたどり着けませんでした。30分延長して、リクエストや湯浅氏がどうしてもかけたかった物を聴いて終了。

とにかくいろんな盤で聴き比べたりする訳です。ざっと思い出しただけで、イギリス盤、ドイツ盤、オランダ盤、オーストラリア盤、アメリカ盤、日本盤、インド盤、香港盤など。それぞれの国の中でもまたいろんな違いがあったりで。

例えば、Norwegian Woodにおけるシタールの音色が、各国のマスタリング時にどのように処理されているかを聞き比べる。日本盤、ドイツ盤、イギリス盤、アメリカ盤、インドネシア・香港盤、インド盤。エッジの鋭さや、シタール独特の音の減衰の感じが確かに違う。インド盤シタールのガッツのある音には、思わず笑い声が上がったほど。

このような視点を持ち得た湯浅氏もスゴイけれど、

  • ビートルズのステレオ盤のカッティングと言えばドイツだ!と云う自負があったはずなのに*1、いきなりこんなヘンな(インド風)音楽が来て、ええっ、どうしよう?という戸惑い、迷いが感じられる(ドイツ盤)

などと雰囲気の違いをすかさず言語化してしまういしい氏も、さすが作家さんですね。

ホントはどんな曲のどんな盤をかけたのかリストしたい所ですが、また別の機会に書くかもしれません。とりあえず、当日のサプライズな目玉として、蓄音機で聴くSP盤のI Want To Hold Your Hand/This Boyのシングルがあった事を記しておきます。I Want To Hold Your Handは、この曲で何十年ぶりぐらいに感動したというくらい、自分の中で1、2を争うほど素晴らしいものでしたよ。


ところで。本来、私はオーディオ的な事にあまり頓着しない方で、それより音楽の中身を聴け、などと言うタイプ。もっと正確に言うと、菊地成孔氏が説明するところの、音楽の「音響情報」に比べて「音韻情報」に偏重するタイプ、極端に言えば「なんなら演奏のクオリティーさえ関係ない、記号としてどんな音楽が意図されているかが重要」とまで言い切ってしまうクチなんです。

ここでの「音響情報」とは、音色や残響など、物理的に耳に届く音楽要素というような意味。サウンドそのものですね。「音韻情報」とは、記号化により再現可能な音楽要素と云うような意味です。メロディーや和音進行などの記号化できる部分*2

さて、それだけだと、何でそんなヤツが「音響」の妙を味わうようなイベントが楽しみなんだというツッコミが早々に入りそうですが、観念としては確かにそんな志向が私にはあるけれども、そもそも音楽において「音響」と「音韻」の両者は不可分なものであるし、ましてや他者が「音響情報」を重要視する(声が良い、タッチが良い、響きが良い、録音が良い等)点については、実に自然でもっともな事であると思うし、自分だってそんな価値にこだわる時だって当然ある訳です。ただ自分的なプライオリティーとして、最重要項目ではなかったし、たぶん今も違うって話。

しかしながら、そんな「音響」と「音韻」ってな概念のせめぎ合いを意識した上で、改めて音楽を見直してみるっていうのが最近のマイブームにもなって居りまして。

「音韻」的にはすでに自らの血肉と化しているようなビートルズの音楽を、元は同じレコーディングの結果であるにもかかわらず、マスターテープの世代やカッティングの技術・ポリシーや国民性の反映(?)などのパラメーターの違いで「音響」的な違いの比較が出来るという、アナログ時代ならではの面白さをビビッドに体験する。

今回のイベントでは、タイミング良くそんな体験が出来たと。自分の音楽的構成要素の根っこの所で、「音韻」「音響」のバランスについて、いろんな部分が突かれて刺激を受け、大いに有意義な事でありました。

*1:ステレオ盤のカッティングと言えばドイツ:そこまでに、オリジナルのイギリス盤とドイツ盤を聞き比べて、ドイツのステレオ盤カッティングの気合の入り具合からそういう話になっていた。

*2:ここでの音響情報と音韻情報:「音響」と「音韻」は、ある誰かの話す言葉の「声の質」と「話す内容」の事だ。と菊地氏は申しております。