松坂牛からwikiの説明について思う

松坂牛という牛肉ブランドがありますね。これ、なんと読むとしっくりきますか?私にとって、これは「まつざかぎゅう」です。

ところが、1、2年ほど前、TVなどでニワカに「まつざかうし」と呼び始めたので、とっても気になってました。それまではみんなして「まつざかぎゅう」って呼んでなかったかね。

なんか、メディアを通じた何者かの意図的な作為ですか?!的な気持ち悪さを感じたものですが、さっそくwikiさんに聞いてみると意外な事実が判明...


...というのがきっかけでありました。その時は、テキストファイルにメモだけ残して、そのまんまにしていたのだけど、今日、ふと思い立ち改めてwikiさんをみてみると、どうも当時読んだ内容と少々違う。

本日時点の記述。


松阪牛(まつさかうし)は三重県松阪市及びその近郊で肥育される黒毛和種。「まつさかうし、まつざかうし、まつさかぎゅう、まつざかぎゅう」と様々に呼ばれる。日本三大和牛の1つ。2002年(平成14年)8月19日以前は「松阪牛」全てが高級銘柄牛肉であったが、以後は区域内の生産であれば格付けが低いものまで「松阪牛」との呼称が許され、全てが高級とは限らなくなっている[1]。

あれー、「まつさかうし」に統一された、のっぺりした説明だね。もっと、この場合はなんとかと呼ぶ、とかいろいろ書いてあったような気がするよ。

しまった、当時読んだものをコピペしときゃ良かった?!こんな事があるから、最近、リンク張りつつ、このページでも引用・転載量が多くなってきたのだ。

とはいえ、そこはwikiさん、ちゃんと編集履歴というモノが残っているので、さっそく当たってみましたよ。昔読んだのはいつ頃だったかしら。と、適当に2年ぐらい前のモノを開いてみました。

2009年2月25日 (水) 14:40時点における版

松阪牛(まつさかうし)は三重県松阪市及びその近郊で肥育される黒毛和種。「まつさかうし、まつざかうし、まつさかぎゅう、まつざかぎゅう」と様々に呼ばれるが、「まつさかうし」が品評会での登録された公式の呼び名で、生きている場合は「まつさかうし」だが加工して食肉となったものは「まつさ(ざ)かぎゅう」と呼ばれるのが正式な呼び方である。日本三大和牛の1つ。2002年8月19日以前は「松阪牛」全てが牛肉#ブランド牛肉|高級銘柄牛肉であったが、以後は格付けが低いものまで「松阪牛」との呼称が許され、全てが高級とは限らなくなっている[1]。

そうそう、こんな感じだったよ。こちらでは、食肉については「まつさ(ざ)かぎゅう」であると言い切ってますよ。ここが気になっていたんだよ。

と言うことは、やはりTVでの用法は(もっぱら食肉を指していたので)おかしいのでは?と、当時思ったんだ。

しかし、この2年の間のどこかで、この記述は失われてしまったと。内容的に正しくなかったのでしょうか。それとも、どうしても「まつざかうし」と呼ばせたい何者かの(ry

まあ履歴を当たってゆけば、「まつざかぎゅう」が失われた時期と理由が分かるのでしょうが、とりあえず今回はここまで。


それよりも、やはり、何かと便利で頼りになるウィキペディアだけど、説明内容が担保されている訳ではないという、当たり前ではあるものの意外と忘れられがちな点は、常々注意を払っておかねばですね、というお話。

しかし、wikiのように大勢で寄ってたかって説明文を詰めてゆくやり方は、最終的には確実なモノかも知れないと思う一方、「最終的」に至る経過においては説明変更の余地がある、更新が常に改善とは限らない、という可能性もあり得るという思いも無くは無い。

そこを意識した上での便利を享受させていただきましょうという事になるんでしょうね。もっとも、紙の辞書だって似たような側面がありますかね。

(やっぱり知りたい、「まつざかぎゅう」がナゼ消えたのかを...笑)


ちなみに、説明文最後の[1]は両方とも同じ。コチラ→松阪牛(農林水産省東海農政局)

日本も個人寄付で

文化的な基盤や税制等、いろんな理由があるのでしょうが、以前から、欧米などと比べて、日本では寄付という行為があまり一般的でないという指摘がありました。

ここでは1ドル=115円(2004年)換算で、米国における寄付金の総額は日本の36倍という比較結果が出ています(しかも、米国単年に対して日本3年分ですよ)。特に個人の寄付金額については、100倍以上の金額差があります。

これについて、日頃からぼんやり考えていることが2つあります。ひとつは、日本でも政党・政治家への収入が個人寄付中心になってゆかないものかということ、もうひとつは、社会での成功者による個人寄付を促進するような社会にならないかということ。

このうち、政治向きの話はまた後日という事にして、今日は2つめの方について簡単に書いてみようかと。それというのも、ソフトバンク孫社長が100億円の個人寄付を行ったというニュースがあったので(笑)。


極端な格差社会で、稼げるやつがとことん金を取ると思われている米国ビジネス界ですが、非常識なまでに?高額収入を得ている社会的成功者は、実は一方で、例外なく個人寄付による多額の社会還元を行っています。

これは、ビジネスに限らず、成功者に一種のノブリス・オブリージュのような感覚があるのだと説明されることが多いようです。社会もそれを求めていると同時に、それを支える税制があることも重要でしょう。

少なくとも、多額の金が税金として徴収されて訳の分からない使い方をされるなら、明示的な用途のために寄付した方がマシ、というセンスも少なからずあるらしい。

「持てる者は持たざるものに分け与えよ」的なキリスト教センスが背景にあるから、このような形での社会還元が起こりやすいのだ。なんて事も言われてますが、そうなると、いまの日本であまり寄付行為が盛んでないのも分かるような気がする。


そんな中、今回の震災への義援金として、著名人による大金の個人寄付がニュースになりました。イチロー然り、久米宏然り。ビジネス界ではファーストリテイリングの柳井社長が10億出してびっくりと思ってたら、今度はソフトバンク孫社長の100億円ですよ。

企業として寄付をするというのもエライですが、個人寄付というのは、また別の意味を持っています。それは個人として社会にどう向かい合うかという価値観の発露であるから。これらの個人による大金寄付は、明快な社会へのコミットメントではないでしょうか。

その意味で、これは日本におけるノブリス・オブリージュの復活ではなかろうかと、私などはある種の感動をもって、これらのニュースに接しております。

そして重要な点として、これらが新しい世代のリーダー達によって行われている事も見逃せません。もちろん人によるのだろうけど、もっと上の世代、現在の日本でトップにいる立場の人たちから、このような動きがあったかしら。

戦前の日本には、このようなノブレス・オブリージュのようなものが存在していたと聞きます。それが戦後社会では失われたものの、また新しい動きが出てきたということになるのではないか。

私には、これが、新しい社会への変化の予兆のようにも感じられるのです。今回の震災で、おそらく社会のいろんなあり方が変化を余儀なくされると考えていたけれど、こんな重要な部分での変化が図らずも顕在化したのだ、という気持ちです。


ちょっとヘンな話ですが、米国がキリスト教的センスで寄付に向かうのであれば、それと比べて、現在の日本において何が寄付のモチベーションに成り得るかと考えた場合、ルサンチマンの緩和、と云うことになるのではないか?と感じています。

日本には清貧を以って善しとするセンスが根強くあり、そのねじれた裏返しのように社会的成功者に対する嫉妬感情もまた強い、と感じています。

ましてや、この10年ほどは新自由主義的な価値観*1が力を持ち、高収入は努力の結果、稼げないのは努力が足りないからと、自己責任の名の下に、持てる者がより多く取ることを当然化してきた訳です。(特に経済的)成功者への反感の強さは、左翼がブイブイ言わしてた時代以上かも?!

そのような土壌の中で、成功者は社会還元を行うものだとのカルチャーが成立するようになれば、社会的なネガティブ感情の解消にもなり、一方ではもうちょっと前向きな意義付けとして、社会的な尊敬を受ける存在の復活にもなるのではないかと。

(だって、今の日本にいますか?社会を動かす経営者でも政治家でも。そう云う、みなが尊敬するような、子供が目標に出来るような、立派な存在。スポーツのすごい人、ぐらいじゃないですか?)


まあ話が長くなりましたが、そんなこんなで、日本でも成功者がバンバン個人寄付をするようなあり方に代わってくると、いろんな面で社会が変わってくるんじゃないか、という話です。

もちろん成功者だけじゃなくても。日本の100倍以上の個人寄付金額の米国では、その8割が高額所得者によるもの*2だそうですが、残り2割だけでも、日本のソレの20倍。

税制上の優遇という点は大きいので、ここは大いに改良してもらって、日本でももっと個人寄付を促進するようになればいいかも。というか、個人的には今の政治の税金分配に納得できないので、出したい事に金が出せる分マシ。

金は天下の回り物、ということわざもあるぐらいだし、決して損にはならないんじゃないかな。

*1:新自由主義的な価値観:いやあ、こう呼ぶのは、個人的には誤解なんじゃないかという気が、最近してきているのですが、話が通じやすいのであえて

*2:米国の個人寄付金額の8割は高額所得者による:ネットで見かけた情報だけど、出典が不明

日赤のありがたさ

先日ネット上で見かけたちょっとしたトピック。清水国明さんのブログ内容から日本赤十字社がちょっとした炎上?状態になったというお話。どんなもんだろうかと、さっそく読んでみました。


今すぐ一人でも多くの人を救いたいという願っての皆さんのその義援金が、今救いを求めている人たちのところには、今は届かないということを、私は知りました。

先日、救援物資を被災地に運んで行った時、沢山の水や食べ物が山積みになっていました。

けれど、避難所の子どもたちに聞くと、すぐには食べさせてもらえない、とのこと。

なんで?

公平公正が絶対ルールの行政主導で分配するので、全員に配れる数が揃うまでおあずけなのだそうです。

義援金はプールされ、募集期間を終えてから、行政関係者などが組織する分配委員会で討議されて公平公正に使われるのだそうです。


要は「みんな今すぐ手を差し伸べたいと思い日赤に義捐金を送ったはずなのに、分配内容を決めるまで使われずにプールされているってどういうこと?」という様な内容が何回かのトピックで書かれてます。

この内容には大きな反響があったらしく、日赤に問い合わせや抗議?の電話が殺到したとの事。それを受けて、書かれた内容について清水さんと日赤広報担当者が話し合いを持つ、という具合に事態は流れて行きます。興味のある方は、ぜひこのブログを読んでみて下さい。

義捐金の流れですが、正確には、日赤の要請で被災地の都道府県主体で義捐金配布委員会を立ち上げ、この配布委員会が日赤等に寄せられた義捐金の配分を行う、という仕組みだそうです。

まず委員会を立ち上げ、そこで被災ケースなどを検討し、公平に義捐金を分配するという流れ。それを経て、やっと被災者に義捐金が届く。

具体的には、どの程度時間がかかるのか。


阪神・淡路大震災では比較的早期に配分委員会が設立され、地震発生から約半月後の2月1日に第一次の支給が行われたそうだ。だが一度に全てはカバーできず、当時被災した人からは「半年から1年後にやっと支給された」という事例も聞く。


被災者に届くまでのリードタイムが、「比較的早く動き出して」、約半月。極端な例として、半年から1年後。もはや義捐金の意味、あるだろうか?私の感想としては、なんとまあお役所ライクなやり方だろうと。

確かに、分配の公平性の担保とは、決して見過ごす事の出来ないポイントというのは分かるのだ。きっと、いろんな要素を検討し、齟齬のないように進めなければならないのだろう。そこのところをキッチリやるのが、お役人のウデの見せ所でもある。

それはそれとして、拙速と言われようとも、早いことに価値があるという部分もある。被災者は今まさに救援を求めているのだ。

多少手順に問題なり不都合な点があっても、まずは喫緊の対策として、物資や一時金を直接被災者に届けるというような、クイック&ダーティーな判断があっても良いのではないかねえ。

それにしても。今回は被災範囲が大きすぎ、その「公平な分配機能」を担当する自治体も大混乱な訳で、なかなか委員会が立ち上がらないらしい。そんな有様では、ますますリードタイムが大きくなるよ。「比較的早く動き出して」半年。このままだといつまで待たされるのか。

と思っていたら、こんなニュースが。

日赤義援金の配分基準、国が策定へ 片山総務相が言及

なんだか、轟々たる非難の嵐があるのについ笑ってしまったけれど、これは、地方自治体の義捐金公平分配機能がマヒして、話が先に進められずに現地の被災者にしわ寄せが行っちゃうから、なんなら国がその機能を代行しましょうか、って話だよね。

まさに、国がやらずに誰がやる、って状況だから、これは妥当な判断だと思うな。惜しむらくは、判断遅すぎ。その分被災者が待たされるんだよ。


それにしても「日赤システム」では、いかにも時間がかかりすぎる。もっとも役所その他公共機関に、クイック&ダーティーなやり方はとても認められないのかもだけど。

しかし、先ほど引用した記事の中に、別の選択肢もあることを発見。役所その他公共機関が出来ないやり方も、これなら可能か。


こうした状況の中、中央共同募金会ではすでに活動を行っているボランティア団体やNPOなどを支援するための『災害ボランティア・NPO活動支援のための募金』を設立した。これは義援金配分委員会を通さず、支援活動を行う団体などに配分されることになる。現地で活動を行うためには、支援物資の調達や現地への輸送手段確保、燃料、通信費だけでもかなりの活動資金が必要となる。こうした活動を支えることが、義援金配分よりも早く被災者の"現在の"生活を支えることにつながるのだ。

(中略)

さらにいち早く支援を届けたい場合には、現在活動を行っているボランティア団体・NPOなどに直接募金を行うことが望ましい。ただし、義援金詐欺などのニュースも報じられる中、信頼できる団体に寄付をするためには、Webなどを通じて広報される活動状況を確認したり、直接電話をして寄付の使途を聞いてみるなど、寄付をする側にも多少の努力が必要であることは認識しておきたい。


なるほど。大きな金額の、公的といっていい義捐金の分配は日赤で、取り急ぎの救援援助はNPOなどの小回りの効く団体で、という使い分けが出来そう。


ところで、なんだか日赤の文句を書いているみたいに思われるかも知れませんが、個人的な気持ちとしては、敬意をもって日赤の立場に見合った活動を応援しています。義捐金も日赤に送ったし。

なにより、10歳の頃、自宅が火事で焼け出された事があり、その際日赤にお世話になって、大変ありがたく思ったという経験があります(当時、鹿児島県出水市在住)。

記憶では、火事があったその日のうちに、毛布や下着などの救援品が届きました。子供心に不思議だったのだけど、あれってどういう経緯で情報が流れて、日赤の支援へと至ったのだろうか?

今回のような大災害では、公平を期すためにすぐには動けないのだろうけど、一家庭が火事で焼け出された時の対応の早さには、子供でもびっくりでしたよ。

その時の援助品、中でも毛布は、その後何十年も使ってたなあ。タグに赤十字のマークが入っているのだ。硬くでゴワゴワした感じの毛布だったけど、その毛布を見るたび日赤のありがたさを思ったものです。いやホント。

てっぱん...いきなりフォロー

前回のあらすじ)4月からNHK BS2BSプレミアムに変更になることにより、最終週分のまとめ放送が中止となった「てっぱん」。朝ドラは毎週土曜日のまとめ放送で観ているウチでは、最後になって「てっぱん」の話の収拾がわからなくなるという事態に見舞われたのでした...


さて、最終週になって突然見落としが発生してしまった「てっぱん」ですが、本日最終回(昼の部)を録画しつつ見ていると、新たな展開が。番組中に、何回か以下のテロップが出ました。

「てっぱん」最終週6話分は総合テレビ9日(土)後4時10分〜再放送します。

をー、結局やってくれる事になったんだね。でも、てっぱんのサイトにも、来週の番組表にも、まだ反映されていないようだし、どうやら急遽決めました、って感じ。

おそらく、放送中止を知らずに、いつものように今週のまとめ放送を見ようとして、やってない!とNHKに問い合わせた人が多かったのではないかしら。さすがにマズイと思ったNHKが再放送を決定したというところかと。

放送決定はありがたいけれど、どうせやるなら、初めから通常通り今日放送しておけば良かったんだよね。だって、今日のBSプレミアムって、キックオフスペシャルみたいな特番ばっかりだもの。

通常の番組より、BSが新しくなったというイベント優先してるようにしかみえないし。NHKがはしゃぐほど視聴者は踊ってないと思うけどねえ。まあなんにしても、これで見落とし分がキャッチアップされるので、ありがたいことです。

ネコ、木に登る

今朝、TVの音かと思っていたら、なにやら外からニャーニャーとネコの声が。

ウチの窓の外には、おとなりさんの庭があり、その木々や集まってくる鳥などを楽しめますが、庭にネコでも出たかとサイクンが窓を開けてみると、もっと愉快な事になってました。

そう言えば今日から4月。ネコがうるさくなるシーズン。オスがメスを追いかけてきたのでしょう、木の上に2匹のネコが。

えーと、逆光のなか、がんばって撮影してみました。追いかけられたネコは、けっこう高いところまで登っています。でも雰囲気はつかめますが、なんだかよく分かりませんね。ではさっそくズームしてみましょう。

こちらが上のネコ。おそらくメス。ちょっとピンボケだけど、おしゃれなサビネコです。モテるって大変。

こちらが下のネコ。おそらくオス。コイツがさっきからニャーニャーと鳴いていた犯人でしょう。しかしよくみると、結構な美ネコではありませんか。こんな美ネコに情熱的に求められて、サビは何が気に入らないのでしょうか。女心はわからない。


このままの状態で、しばらく膠着していたのだけど、そのうち下のネコの姿が見えなくなりました。さすがにあきらめたか...メスもどうやって下りようかとのんびり思案しているかと思いきや。

木の隣にあるトタン屋根の上に場所を移し、ちんまりと座って、まだ上を見上げているオスを発見!

ウチからみると木の葉の死角になって見えにくかったんだな。それでメスもさっきかから下を気にしていたのか。


これはまた、しばらく動きがなさそうな気配。ネコが気になりながらも、サイクンはタイムアップ。ネコをウォッチしておくようにと言い残し、仕事に出かけて行きました。

が、その直後。メスがいきなりアクションを起こし、やはりトタン屋根の上に飛び降りて、そのままブロック塀の上を反対側へと姿を消し、オスもすぐにその後を追って行きました。

一瞬のことで、写真/ビデオ撮りそこね。せっかくのシャッターチャンスを生かせず。でも朝から愉快なものをみることが出来たて良かった。

てっぱん...しり切れた...

今日から世の中の多くが新年度。NHKBS放送も今年から様変わりで、今日からBS1・BS2・BS hiてな編成がBS1BSプレミアムへと変更。

その記念番組で、BSプレミアムでは「新日本風土記」のスペシャル版「城 十二天守への旅」なる番組があるので、放送時間を調べていたら、ふとあることに気づき。「あれ、土曜のてっぱんまとめ放送がない」。

何度か触れたけど、ここ10年ばかり、朝ドラはBS2土曜日のまとめ放送(9:30-11:00で一週間分放送)で観てる訳です。土曜の朝ゴハンは朝ドラをみながら、というのが生活パターン。

ところが。いくらBSプレミアムに変わったとはいえ、今週の番組表に「てっぱん」が存在しない。不思議に思って「てっぱん」サイトへ行くと、こんな告知が!


あーあ。いままで一回も欠かさず観てきたのに、最後の最後にこんな仕打ち。「てっぱん」は「ちりてとちん」に並ぶ久々の名作だと思ったけれど、結局しり切れじゃしようがない。まあ今からでも、今日の昼放送と明日でラスト2回分は見れるけど、ここまで盛り上げておいて最終週がちゃんと観れないなんて、なんか気持ちが冷めちゃったなー。

つか、放送前なのにむりやり最終回まで3回分前倒し放送ってどういうことよ。そんなにBSプレミアムに持ち越したくなかったか。

「てっぱん」終了に際しては、もっと別の事を書こうと思ってたんだけど、なまじ作品の出来が良かっただけに、ショック大で飛んじゃいました。

ぽぽぽぽーんで分かったこと

震災からこちら、多くのスポンサーによるCM自粛に起因する、ACのCM大量放送という事態が発生しております。

個人的には、金子みすゞの詩を使った「こだまでしょうか」とか好きなんですけど、他にも趣深いCMがあって、面白いなーと思って観てる訳だけど、とりわけ世間的にセンセーショナル?に取り上げられているのが「あいさつの魔法」。

どうにも「ぽぽぽぽーん」が人々の魂を鷲づかみするらしく、いろんな意味で話題になっております。そんな流れで、この曲の譜面を起こした方が現れました。力作ですねー。

【修正版】ぽぽぽぽーんを楽譜にしてみた【わりと本気】

で、この譜面を見て、私はぶっ飛びましたよ。どこに?それは意外にも、一番最後の、しょっちゅう耳にしていたはずの、♪エイシーというジングルというかサウンドロゴの部分にでした。この部分。


改めて譜面で見てみると、ここ、D-Gのドミナントモーションだったんだ!びっくり。

いや、Dがドミナント7thコードではないので、正確にはドミナントモーションではないのか。それにしても。


一般的に、西洋の音楽は、属音(ドミナント)から主音(トニック)への音の移動時に感じる「緊張感から安定感への感覚」を利用して音楽を前に進めます。これがドミナントモーション。

具体的には、V7(ドミナント5度)を構成する3度音と7度音による「増4度」という音程がもたらす緊張感が、I(1度)へ進行して解決するというものです。

ここでのACのサウンドロゴは、コードにすると、D69(D,F#,A,B,E) - Aadd9(G,B,D,A) って感じになるので、ドミナントは上記の「増4度(ここではC-F#)」を含まず、従って正確にはドミナントモーションにならないのかもだけど、5度から1度にきっちり強進行解決していることは間違いない。


で、私はなんでびっくりしたかというと、これ、♪エイシーって部分、実は同じひとつの和音の中でメロディーが動いていると思っていたから。トニックのみ。

メロディーとしては、ミ-ソ(移動ドな私)なので、そう思っても不思議じゃない。同じコードの中とは言っても装飾的にテンションが動いてるかな、ぐらいな感じ。

まあ、TVのスピーカーでは低音部まで聞こえなかったから、と言えばそうだし、これだけで音を聞き取れなかった私の耳が悪い、と言われれば、それもそうなんだけど。


しかし、いままで何度この音を聞いてきたことか。こんなに「ぽぽぽぽーん」が話題になって譜面化してくれる人が現れなければ、ずっと気づかないままだったに違いない。うーん。

ところで、あまりに何度も繰り返してACのCMが流れるので♪エイシーがウルサイと苦情があったらしく、音抜きバージョンが流れるようになったけど、世の中には気にしーな人が多いんだねと、こちらも少々びっくりでした。