ハルキ効果?

世間で何かと話題(笑)の村上春樹の新刊「1Q84」。サイクンがすでに購入読了しているので、いつでも読める状態です。しかし、なんとなく気になるので、その前にジョージ・オーウェルの「1984」を読んでおこうかとアマゾンさんを訪ねてみると、ハヤカワから出ていた文庫は絶版の気配。こんな古典が絶版ですか?

ところで、同じく村上春樹の「意味がなければスイングはない。」という本があります。あるミュージシャンを取り上げて語るというエッセイスタイルの作品ですが、これを読んだ人は、取り上げられた中で新たに興味をもったというミュージシャンがあったかもしれません。私の場合はプーランクでした。たぶん読者の中でもかなり少数派かと(笑)。

で、さっそくプーランクのCDをいくつか買い求めてみました。本では世俗歌曲が取り上げられていましたが、タワレコ新宿店ではイマイチそれらしいのが見つからず、世俗合唱曲とピアノと室内アンサンブルをいくつか。そしたら、けっこう面白かったのでした。なぜコレを知らずに今まで来たのか。

しかし、プーランクってどんな人だっけ?クラシックを学んでいたくせにこの体たらく。てな訳でさっそく紀伊国屋書店へ向かい、プーランクに関する本を探したのでした。が、ない。見事にない。そこでおなじみアマゾンさんを訪ねてみると、やはりない。ただし、絶版になっているものの、伝記らしい本があることがわかりました。

フランシスプーランク

フランシスプーランク

この時点で、中古が確か4,500円ぐらいで出てたんですよねえ。ちょっと高いかなと思いパスしていましたらば、昨日アクセスしてみると、11,000円に価格が跳ね上がっておりました。今度は2点で2点とも。

それどころか、297,675円などというものまで現れる始末。これタイプミスかなんかですかねえ?

まあ29万円のほうは別にして、なぜプーランクにここまで強気な価格設定?これは「意味がなければスイングはない。」の文庫化により、私のようにプーランク本を読んでみようかという人が現れたことを示しているのではあるまいか。そんなことを考えるのは、おそらくあの本を読んだうちに2%ぐらいかもしれないけど、なにしろモノは村上春樹なのであるからして。

しかしそうとなれば、これはハルキ効果と呼んでよさそうだ。で、冒頭の「1984」である。絶版はしょうがないとして、文庫にしては中古価格が良いお値段。うーん、これもハルキ効果?
日本語版が手に入らないのであれば洋書でと思うと、アマゾンさん(日本国)ではPenguin Readersの「1984」が一時的な在庫切れだそうで。まさかこれも?まあいきなり原典読むより読みやすいPenguin Readers判ってケースもありそうな(ていうか、私がそうしようと思ってましたよ)。

うーん、高い金を出さずに「1984」を読むことは出来ないのか。
ちなみに「1984」はWikiさんで作品のあらましを知ることができます。
それから、以前は前文掲載してあったそうだけど、章毎にあらすじをまとめたサイトがありました。私は今回こちらにお世話になりました。--> The Literature Network

シンクロ

世の中は3連休。その中のある日、会社で黙々と仕事をしていた際に妙なPCを落とし方をする羽目になってしまい、結果HDDが認識されなくなりました。この日の仕事はすべてパー。なんのために休日仕事をしたのやら。

翌日、家の音楽作業用PCでPro Toolsを使って、先日のライブ音源の編集を行っておりましたが、ちょっと負荷のかかる作業を行ったところフリーズしてしまい、リブートしたところ、こちらもHDDが認識されなくなってしまいました。

よりによって立て続けに同じようなトラブルに見舞われ、つまらないところでシンクロニシティーを体験する事になってしまいました。こう云うことは是非とも良い事柄で起こって欲しいものです。

ノドズレ

他の人にはあるのかどうか不明なんですが、ごくたまーに、喉がズレるという現象に悩まされております。忘れた頃にやって来る。

どんな感じかというと、喉仏あたりの気管が(主に)右側にずれて、嚥下したりするとイチイチ痛いという。そんな時は右側から押し戻したり、さらに有効な方法として右側を振り返るような感じで喉を右肩に押し付けてズレを修正したりするわけです。私だけなのかな?

ホントに年に一度あるかどうかで、通常は2〜3日程度、気がつくと回復しているというモノなのです。今、そんな症状に久々に悩まされているのですが、今回はすでに発症から10日ほどにもなろうというのに、一向に回復に向かう気配が見えず、これで慢性化しやしたりしないかと少々不安なみんです。

しばらくは電車の中などで、右側に居る人に、意味もなく視線を送っていると疑われやしないかとビクビクしなきゃいけないのかと思うとウツ。

信長検定(初級)

もちろん城目当てで、先日初めて安土を訪れました。城自体は近年整備が進んだものの、石垣が残るばかりで、城マニア的にはそれでも十分なのですが、町には安土城考古博物館、信長の館、城郭資料館等の施設があり、展示物もかなりあります。

で、城郭資料館を訪れた時に「信長検定 問題(初級)」なるプリントがあったので、ご紹介いたしましょう。

    • Q5. 安土城の瓦に使われている文様は?
    • Q11. 信長が最期を遂げた場所は?
    • Q13. 信長のハンコに刻まれている言葉は?
    • Q14. 信長のハンコに描かれている想像上の生き物は?
    • Q15. 安土城天主は何階建てか?
      • A. 五階建て B. 七階建て
    • Q18. 信長が安土城内にたてた寺院は?

ちなみに私の回答は以下の通り;
1-A, 2-B, 3-A, 4-B, 5-A, 6-A, 7-A, 8-A, 9-B, 10-B, 11-B, 12-A, 13-A, 14-A, 15-A, 16-A, 17-B, 18-B, 19-A, 20-A

いかがでしょうか?私は回答を書き込んだものの、どこに出すのかよくわからなかったので、そのプリントを持って帰って来た次第。なので実は正解は不明です。多分オオムネ全問正解だと思うんだけどなあ。

「他生」の縁

袖振り合うも多生の縁、という言葉があります。これは道端で袖が触れ合うだけの事であっても、前世来世でのつながりから起こったことであり、すべては偶然ではないのだという仏教の言葉です。因果応報ってやつですね。

勘違いとして多く広まっているのが、「多少の縁」というやつで、道端で袖が触れ合ったのも何かの縁だ、めぐり合いは大事ね、的ニュアンスのもの。まあありがちですね。多生と多少の誤用。気持ちはわかります。

もうひとつ、「他生の縁」というのもあります。これは「多生の縁」から派生した言葉だそうで、やはり「多生の縁」が本来の言葉だそうです。それぞれ仏教用語で「多生」は多くの生を繰り返すこと、輪廻転生ですね。「他生」はやはり輪廻転生の中で、前世とか来世とかの、今とは違う生のことのようです。昨日調べて初めて知りました。

昨日?そうです昨日。それまでの10年ほどの間、私は「他生の縁」という言葉をまったく違う意味だと思っていました。

それは、あるとき読んだ本にこのようなことが書かれていたからです。以下大意。

袖振り合うも他生の縁という言葉があるが、広く認識されているような、袖が触れ合うことにも何かの縁があるためだという理解は間違っている。他生とは仏教用語で仏縁に全く縁のない人、縁なき衆生のことである。つまりこの言葉は、たとえいくばくかの接点があったとしても、本来はまったく自分の生とは関わりのない事であるという意味である。

どうです、あまりに違うこの内容。しかしその著者の自信たっぷりな物言いに、私はすっかりそういうものだと自分の認識を改めたのでした。念のためにウラを取るぐらいの事はしたっていいもんですが。とにかく、それ以来おおむね10年ほど、世の中の「誤用」に胸を痛めてきたという(笑)。

それがなぜ「昨日」正しい意味が発覚したかというと、新しい朝ドラ「だんだん」の初回を観て、テーマ曲の最初の歌詞が「袖振り合うも多生の縁」だったからです。ああまた誤った使い方を、と胸を痛めた私は、しかし今回は念のため意味の確認に走り、その結果上記のような情報を得た、と。

それにしても、まったく記憶にないのですが、アレは誰のなんと云う本だったんだろうか?今回調べてスゴイと思ったのは、ひとつも同様の説にお目にかからなかったこと。誤用にしても、それなりに同趣旨の意見があってもいいかと思ったのですが、よっぽど異端だったのか。そしてそんな主張を長い間信じ込んでいたんだな。ある意味スゴイ(笑)。

日本人があまり宗教に囚われないのは結果的にはあまり悪くないことのように思えるのこと

いやあ、1年ぶりのエントリーですよ。ネタも意欲もあるんですが、なかなか精神的なヨユーに欠ける日々が続いているもので、なかなか作文気分になれないのが悲し。

それはそうと、ダイナマイトに面白いマンガにめぐり合ってしまったわけですよ、これが。

聖☆おにいさん(1) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(1) (モーニング KC)

「目覚めた人ブッダ、神の子・イエス。世紀末を無事に越えた二人は、東京・立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。近所のおばちゃんのよう細かいお金を気にするブッダ。衝動買いが多いイエス。そんな"最聖"コンビの立川デイズ。」(単行本1巻の裏表紙より)

どう面白いのかという点はあえて今回スキップして(笑)、で、なんとなく思ったのだけど、内容的には宗教に対して非常におおらかというか大雑把な日本ならでは表現できるモノかもしれないなあと。モンティパイソンの映画では「Life Of Brian」が一番面白いと思うのだけど、同時にキリストのパロディ物ということで欧米でどれだけ問題になったかという事はよっく知っているわけで。

私などは、宗教に対するそのような過敏反応は一種の思考停止のように思えるのだけど、逆に私とかパイソンズのみなさんが「聖」なる事をまったく理解できていないのかもしれませんね。どちらがホントなのかは神の味噌汁。

ただ、良い面も悪い面もある事だとは思うけれど、人は宗教によってある種のシバリを受けるものなので、その点ではフラットな立場で臨む事が出来る事が多い日本人って、世界の中での立ち位置としてある意味貴重だと思うし、その点をもっと自負してもいいのかもしれない。

西欧人に我輩ハ無宗教デアルと言ってヒソカに野蛮人扱いされることを恐れるより、そんな事を説明できるようになりたいものだという気がする。私は特に信仰を持たないけれど、なぜか子供のころから宗教に興味があるので、そんな事を思うのかもしれないけれど。

まあとりあえず、そんなこんなで「聖☆おにいさん」を楽しむことが出来る環境は悪くないなあと。