東京のおでん

私はコドモの頃、大田区の羽田という町に住んでました。空港で有名な町ですが、町自体は昔ながらの漁師町といった風情を残した、下町感たっぷりな場所でした。今ではどうなったかなあ。

当時、羽田に引っ越してきて驚いた事の一つに、狭い町のなかに、やたらと銭湯とおでん屋と駄菓子屋があったことがあります。なので、日替わりであちこちに通うなんて事もできました。おでん屋は、なぜか銭湯の近くにセットのように存在していたような。

世間的には、おでんは冬の食べ物、と考えられているフシもありますが、羽田では、かように日常的に食べるものでした。個人的には、夏の風呂上りに食べるおでん、とかが季節の風物詩として成立します。

その味は、かなり濃い目で、がっつり煮込んだ、上品さとはかけ離れたものでした。いろんな店で食べても、全般的にそのような味付けだったので、地域的にそういうものだと思われていたということでしょう。私もおでんとはそういうものだと思ってました。

が、大人になってからおでんを食べると、どうも違う。なんだか上品なダシ味のものが多くて、昔好きだったワイルドさに欠けるような物足りなさがありました。

どのぐらいアレかと云うと、東京の、昔ながらの濃い口おでんの店として有名な「お多幸」ですが、あれでも、もう一声、と思うぐらい、な感覚です。

やっぱり私が慣れ親しんだのは、下町ならではの味付けだったのかと思っていたら、なんと浅草の方では、私が物足りないと思っていたおでんが主流らしい事が判明。ちょっと釈然としない。一度、六本木のおでん屋で、浅草出身というマスターと「東京のおでん」について言い合い(笑)になった事があります。

このナゾに対して答えの筋道を与えてくれたのは、なんと「美味しんぼ」でした。その中で、関東大震災後に、関西方面からの支援で、関東炊きの炊き出しが行われ、それの味が、そのまま都心の下町に定着したという話。

その後調べてみると、おでんに限らず、東京の飲食店は関東大震災で壊滅状態になり、必要に迫られ関西の料理人たちが東京へ進出したとの事。そのため、それまでの江戸風な料理は多くが姿を消したそうです。

また関東大震災や戦災により、下町から多くの人たちが、武蔵野方面と荏原方面に移住したという歴史があります。実家の荻窪はまた違った雰囲気でしたが、今住んでる高円寺界隈や、大田区あたりは、なるほど下町的雰囲気の感じられる地域で、元々江戸の下町だったあたりの人たちが多く移住した事を思わせます。

ここから考えられる私の「東京のおでん」に対する仮説はこんな感じ。

    1. 関東大震災発生により、東京下町の飲食店はほぼ壊滅、避難民は武蔵野方面、荏原方面へと移住。
    2. 東京には関西からの料理人が進出、新しい東京の味が生まれる。おでんは関東炊き的な味が定着。
    3. 移住先コミュニティにて、元下町住人による味付けのおでんが温存された。

と、これだと、現中央線界隈でも、あの濃い味のおでんや、はたまたもんじゃとかがありそうだけどなあ?と言って、私が羽田のおでんを食べていた頃から、もう40年近く経ってしまったし、下町風情はどんどん無くなりつつあるので、いま探すのはむずかしいかなあ?
結局は、おでんやもんじゃって、元々下町のファストフードなので、お上品に洗練させるよりは、ざっくりした感じがあってナンボ、という気がするのは、こんな育ちだからなんでしょうかね。