蕎麦の楽しみ

今年の夏は暑かったけど、いきなり涼しくなって、すでに晩秋の気配。そうなって来ると気になってくるのが、新蕎麦のニュース。

いやもう、ホントに蕎麦好きなもので、このシーズンは楽しみで楽しみで。さて今期も蕎麦シーズンを堪能するぞー!と盛り上がっているところで、ネット上でこんな感じの書き込みを発見して、ちょこっと不安な気持ちになり。

  • 蕎麦でも音をたててすするのはマナー違反

誤解を恐れず結論だけ言ってしまうと、私は、手づかみで食べようが犬食いしようが、迷惑かけなきゃどんな食べ方しようと基本的に人の勝手、だと考えるタイプです。

だけど、なんにしても本来の姿というものはあるという認識はあります*1。フォークとナイフでにぎり寿司を二つに切って食べても良いけど、それは本来の食べ方ではないよ、というような意味で。

で、蕎麦で言えば、おそらく江戸風のもりを食べるときは、音を立てて食べるのが本来の姿と思ってます。そうする事でより風味豊かに美味しく食べられるので。

もっとも、それがホントに本来の姿かどうかはさほど重要視してないんですが。とりあえず、私はこんな風に蕎麦を楽しんでますというトコロを考えてみました。

  • 基本はもり。食べるのにジャマだから、のりは不要。
  • 蕎麦の香りのジャマになるので、わさびは不使用。もっぱら蕎麦が出るまでのツマミとして、ちびちび舐めて待つ。
  • 同じ理由でねぎ不使用。つまり蕎麦に薬味は不要派。
  • つゆは辛口が好み(並木の藪が大好き)。
  • 蕎麦はつゆに少しだけつけて、2口ぐらいで啜りこむ。この時、爽やかな蕎麦の香りを楽しむ。
  • そのまま飲み込む事もあるが、大抵1、2回軽く噛んで飲み込む。この時のノド越し、つゆと蕎麦の渾然とした香りを楽しむ。
  • 時々、つゆなしでたぐり、蕎麦の香りを満喫する。
  • つゆ使用量が少なく、つゆ対蕎麦湯の比率も薄口なので、蕎麦湯をおかわりする事もままある。
  • つゆ蕎麦湯割りには薬味のねぎを投入する事も多い。
  • そばの香りに満たされてごちそうさま。

つまり、蕎麦は香りとノド越し。空気と一緒にすすり込む事で、より蕎麦の香りを楽しむ事が出来るし、噛まずに、もしくは軽く噛んで飲み込む事でノド越しを味わう。これが私の楽しみ方。

てなところに、蕎麦は音を立ててすすっちゃダメ、と言われちゃうと、せっかくの楽しみが台無しなんですけど。それは勘弁して欲しいなあと。多くのそば好きは昔からこうやって楽しんできたんじゃないかなあ。スパゲッティならいざしらず、いつから蕎麦を啜っちゃダメなんて話が出てきたんだろう。

中には「それが粋だと思っている」などという批判的な意見を耳にする事もあるけれど、つゆをつける量も、たぐって啜るのも、単に美味しく食べるための事なのに。

そう言えば、「ラジオ落語のせいで蕎麦は音を立てて食べるという『誤解』が生まれた」という説がありますが、こんなサイトを見つけましたよ。


ラジオの普及で落語も「音立て」するようになったとして、落語の上での音立ても伝統的ではないとする説もあるが、円窓さんは「それは嘘です」ときっばり。ほしさんは「蕎麦は江戸中期以降、町人がかき込んで食べた。だから、勢いが大事。女性はゆっくり食べますから、温かいそばを、音を立てずに召し上がるかもしれませんけれど」。

ちなみに、もり以外の、つゆ蕎麦等の場合は、啜りこむ事へのこだわりはないです。私にとって、蕎麦とつゆの風味が特別なのは、江戸風もりだけのようです。でも形ばかり、そばとつゆが別々に出てくれば済むというモノでもない。

昔、浅草出身なぎらけんいち氏の「下町小僧」という本で「地方は、蕎麦自体は美味い物があるのに、おしなべてつゆがダメ(大意)」とあるのを読み大いに同意しました。たぶんもりについてだと思うけど、これも江戸風もりを偏愛した結果なんだろうなあ。


ところで。先に、どんな食べ方しようと基本的に人の勝手、と書きましたが、実はくちゃくちゃと音を立てて食べられるのが大の苦手。黒板の引っかき音と同じように苦手。

なので、すする音、と云うのは同じように感じる人が居るんだろうな、異文化の人には。という認識はあります。だけど日本人に言われてもなあ。蕎麦はNGだけど洟をすするのはOKって人、けっこう居そうだけどな(笑)。

*1:本来の姿:たぶんマナーと書けば通りが良いのだが、最近マナーという言葉を使うのがイヤになってきたので使いませーん(笑)。この件については、そのうち書く機会があるかも。