たかが飲酒運転

ああ、最近こんな事ばっかり書いてるけど、いくら居酒屋談義を標榜するサイトとは言え、もっと愉快な事を取り上げたいんだけどなあ。

いつかのコメントに書いたけど。法制的にどうかは知らないけど、冤罪もしくは過失の可能性がない場合、つまり意図的自覚的な犯行については、犯罪抑制策として割が合わないぐらいの重罪を与えてよいのではないかな。でも司法的にはあまりなじまないらしい、ということが分かるニュース。

 飲酒運転した公務員を事故の有無にかかわらず「原則懲戒免職」としていた全国29自治体のうち、計10府県市が処分基準を見直すか、見直しを検討していることが毎日新聞の調べで分かった。06年8月に福岡市職員の飲酒運転で幼児3人が死亡した事故をきっかけに処分の厳罰化が広がったが、09年以降、「過酷だ」として免職を取り消した判決が最高裁で相次いで確定。厳罰化の流れに変化が生じている。(毎日新聞)

ベースにある感覚として、どうも世間には、飲酒運転ぐらいは...という感覚があるのではないか。いいじゃん、それぐらい、みたいな

そしたら「いいじゃん、それぐらい感」が良く出ていると思ったニュースを発見。ニュースソースのリンク切れにて、以下のサイトから引用の引用をさせていただきます。

[解釈]飲酒運転に係る懲戒免職処分を取り消す判例について〜最高裁判決

(前略)
原告側の平田元秀弁護士は、姫路市北条の県弁護士会姫路支部会館で「酒気帯び運転への厳正な処分は必要だが、事案を考慮し、適切に処分することが必要」と述べ、「元課長は38年間まじめに勤めてきた。日常的に飲酒運転をしておらず、人身事故もなかった。すぐに免職とするのは、罪と罰の均衡を無視した過酷な処分」と振り返った。
(後略)
(2009年4月25日 神戸新聞

「事案を考慮し」を読み替えると、「そりゃまあ悪いことなんだが、まじめな人だし、ぶっちゃけ、飲酒運転ぐらいでそこまで言わなくてもよかろう」ってことですね。

酒気帯び運転への厳正な処分は必要だが」。だが、ですよ。だがタテマエ上、「必要」だと言っとかなきゃ気まずい感がぷんぷんしますが、もちろん速攻で否定

ここでは、ホントは必要だなんて全然思っていなくて、「飲酒運転ぐらい」というセンスで酌量の余地を見ている。でもまあ、大方の日本人は同じような見方でしょう。

しかし。この「飲酒運転」の部分だけ、たとえば大麻吸引」と差し替えてみるとどうか。いくら38年間まじめに勤めてきても、バッサリと処分される事に抵抗を感じる人は少ないと思う。

それは、世の中の多くの人は「大麻吸引ぐらい...」という考え方に親和性を持っていないから。日本はそういう社会なのだ。少なくとも、飲酒と扱いが同じというのは、ちょっと違和感がありそう。

私から見れば、どっちも同じドラッグですけどね。酒もタバコも「許された範囲内で嗜むことが許されたドラッグ」に過ぎません。大麻は「許された範囲が極端に限定されたドラッグ」です。

まあそんなこんなで、飲酒運転は悲惨な事故の原因となる。という事実は、ほとんどの人には他人事ってことなんでしょうね。

最近の判例は、「それぐらい」で懲戒免職は厳しかろう、という流れだそうですが、では「どれぐらい」なら妥当ですか?

くりかえしますが、過失ならその主張も当然と思います。人は誰でもミスをするものだから。でも飲酒運転は過失ではありませんよ


ところで、WHOはタバコの次のターゲットにアルコールを持ち出して来たようです。米国単独での禁酒法は失敗しましたが、過去30年ばかりのタバコの扱われ方の変化を振り返ると、WHOの禁酒運動の展開と共に、「飲酒運転ぐらい」も、近い将来には「あり得ない行い」という意識が広く定着するんでしょうか。もちろん皮肉です。