総括せよ!さらば革命的世代 (1/100)

総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか

総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか

コドモの頃から、60年代後期の熱い時代の担い手であった世代に憧れを持っていた。いわゆる、Beautiful Young Generationってやつだ。

結果、自己が形成される上での、当時のカウンターカルチャー、もしくはサブカルチャーからの影響は少なくないだろうと考えている。その中のひとつが、学生運動

あの頃の「彼等」の主張を今の社会にそのまま当てはめることは難しいけれど、社会に対して、初めから「無理・ダメ」と諦めない姿勢は、若い世代が持つ力となる事を示したと思う。

それにしても、なぜ「彼等」は急に姿を消してしまったのだろう?なぜ若い世代が持つ力は次世代に継承されなかったのだろう?

この本では、それぞれに立ち位置の違う、当時の若者達の声を集めている。それは、こんな前文から始まる。

40年余り前、わが国に「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らは、あの時代を積極的に語ろうとはしない。語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」「みんなそうだった」と簡単に片付ける人もいる。そして、私達の「隣人」としてごく普通の生活を送っている。彼等の思想はいつから変わったのか。また変わらなかったのか。あるいは、その存在はわが国にどのような功罪を与えたのか。そもそも当時、この国のキャンパスで何が起きたのか?
彼らが社会から引退してしまう前に、"総括"する。

当時、運動の担い手だった人たち。思想を変えた人、変えない人。総括が出来た人、出来ていない人。取材拒否も多かったという。やはり立ち位置としてはこの部分がいちばん複雑だ。

当時の大学進学率は15%。条件の良い就職を手に出来る「エリート」たちなのだが、思想的に大企業を避け、あえて小さい会社を選び、それを恨みに思う人、それで良かったと思う人。

もちろん役所や大企業への就職を選んだ人もある。たぶん多数。意外にも当時の大企業は運動歴があっても「そういうもの」だと特に問題視しなかったのだそうだ。しかし彼らは「思想的に」どう折り合いをつけたのか。おそらく最も口をつぐんでいるのが、このグループなのだろう。

「体制の外側からの革命ではなく、体制の中に身を置いて理想を実現せよ」というのは昔よく聞いたが、マクルーゼの思想と呼ばれていることを初めて知った。


そして、全共闘と対立する立場や非難する人たち。とりあげられているのは、警察、機動隊、やや上の全学連世代、民生、体育会系学生、新右翼、やや下の世代、親たち、教師。

親たちの「みんな仲良く」的な運動は微笑ましいが、やはりそれぞれ「彼等」へのまなざしは厳しい。特に少し下の「シラケ世代」は、その迷惑をこうむった世代として、一番嫌悪感があるかもしれない、との発言も。

意外に思うのは、当初は警察幹部にも「反抗する学生さんにも言い分があるのではないか」という理解があった事。それほど、当時の大学のヒドイ状況があったし、活動が先鋭化するまでは、やはり「エリート」を大切にするというメンタリティーがあったらしい。

こちら側からも、やはり「彼等」の総括が求められている。

「戦っている全共闘には理ありと感じていたが、問題はその後現在に至るまでの総括です。沈黙している人はまだ良いが、自分のことを棚にあげて『いまどきの若者は』なんて言うのは許せない。誰がどうだったかと明らかにするつもりはないが、何も総括していないのに、いっちょ前のことを言うなと思うんです」

「先進国でこんなにビラがまきにくく、こんなに文句が言いにくい国もないでしょう。年金問題が起きても、大きなデモも起きない。信じられますか。あれだけ学生たちが立ち上がった時代があったのに、なぜこんな社会になったのか、それを知りたいのは当然だと思うんです」

運動がもたらしたものが、現在までつながっているからこそ、「次世代に語って欲しい」という欲求は当然だと思う。

そんなに過激なものでなくても、社会や権威に対して「おかしい」という事は、普通にあって良い事のはずだが、いつしか日本はそのような社会ではなくなった。もし「彼等」が語らないために、社会がズルズルと負のイメージを引きずっている事が原因であるならば、早く対処する必要があるだろう。



次に、「元闘士たちがネット上で全共闘回顧を始めた」「当時所属していた大学の格による役割の格差があった」「闘士と獄中結婚した加藤登紀子」等の、当時から現在に至るまで、運動の実際に光を当てるトピックがとりあげられている。

これらを補助線として、世間にあるイメージとはちがう、「彼等」の実像を描きだしてみよう、という試みはおもしろいと思った。以下備忘録的に気になった部分を引用。

当時、東大紛争の処理を担当した元東大総長代行、加藤一郎さんは94年、「全共闘運動の意味について」という興味深い文章を残している。そこでは「全共闘の魅力は誰でも自由に議論が出来る『組織なき運動』だったところにある」と一定の評価をした上で、こう続けている。
「しかし、この組織のないことが同時に欠陥になった。誰でも自由に入って議論すれば、自由な議論ができるが無責任な議論になるおそれがある。そこでは妥協は排撃され、元気のよい強硬な意見に支配されがちになる」

闘争の舞台はネットへ(p134)

ノンセクトで参加行動できる全共闘の自由さは、一方で「元気の良い強硬な意見に支配されがち」と。示唆に富んだ指摘です。私は、日本史上に散見されるこんな人たちを、自戒を込めて「お調子者」と呼んでおります。

同志社大全共闘のメンバーだった)男性によると、関西の場合、入試の難易度順そのままに、作戦立案は京都大の学生で、現場指揮官は同志社大、前線には桃山学院大やそのほかの学生が出てゆくことがすくなくなかったという。
「権威」に反発し、「大学解体」まで叫んだ彼らが、現実の闘争では「大学名」を前面に出す。

学生運動も学歴社会(p137)

そんな序列は、たぶん、みな無自覚かつアプリオリに、あたりまえ価してたんだな。そんな時代だったということか。でなければ、同じ口で「大学解体」なんてとても言えないだろう。

ノンセクトの登場は、全共闘運動を象徴する現象といわれる。
学生たちは既存社会に反発しただけでなく、セクトにとらわれた旧来の学生運動にも満足していなかった。参加したい人が自然発生的に加わることができる。これが幅広い支持を集め、全共闘の母体となった。「全共闘は組織を持たない運動」といわれるゆえんでもある。

闘士たちの「世代間格差」(p155)

「組織なき運動」についてはすでに引用したけど、全学連が旧来の運動への反発から生まれたという点に注目。

当時は、音楽も自由じゃなかったのだという。
「体制側のものだというか。やっぱり演歌が主流というか。そういった意味では60年代のアングラフォークは劇的なものだったんです。結局、政治は動かなかったけど、全共闘によって学生達の表現手段は劇的に変わりましたね」

加藤登紀子と闘士の恋(p161)

「彼等」が成し遂げた、ポジティブな遺産。

つい先ほどまで親しかった仲間を殴る時、一体何を考えていたのか。
植垣さんは少し間をおいてこう話した。
「申し訳ない、という気持ち、ですよね。殴った後で柱に縛りつけながら小声で、『すまない』と言ってみたり...。ただ一方で、問題を起こしたのだから殺されても仕方ないという感覚もありましたね」

実行犯が語る連合赤軍事件(p168)

72年の連合赤軍事件で、多くの国民、ばかりでなく若者の支持まで失い、衰退していった日本の学生運動
そんな顛末が事前に分かっていたとしたら、彼らはどのような活動を展開しただろうか?


本書は、最後にまとめとして「あの頃」から現在までのつながりに目を向ける。いくつかのトピックがあるが、心に迫る発言があった。

「直接関係がなくても、全共闘世代はみな連赤事件を起こした世代ということから逃れられない。僕らの運動は先細った結果、仲間同士で殺しあうところまでいきついた。誰も責任は取れないが、そのことに向き合わず自分の武勇伝だけを語るのは許されないと思う」

ぼくは二十歳だった(p212)

全共闘世代にある、人ごと感覚、受け止める覚悟のなさへの、同世代からの批判。


この手の本は、いままで「彼等」と同世代、もしくは上の世代によるものがほとんどなのだが、本書の特徴として、取材を行った記者が、全共闘運動を直接知らない、30代の若い世代だという事が、あとがきで語られる。そうか、この取材を行った記者たちにとって、学生運動なんてもはや「歴史上の出来事」なのだ。少し遠い目になった。


本書によって、今まで知らなかったことや、ぼんやりと考えていたイメージの輪郭が見えてきたような気がする。

そうしてみて、改めて自分の中で、この世代が現在をどう云うつもりで生きているのか、という点が気になってきた。

例えば「世の中を変えよう!」という気持ちは、自身が社会を動かす世代となった今、どのような形で表れてくるのか。もしくは、もうとっくに捨ててしまったのか。という部分がよく見えない。

あの頃のキミ達は、どこへ行ってしまったの?という気持ち。この世代が、経営層になり、現在の若者から搾取しまくってるのは、なんだか悪い冗談のようだ。

まあ、同じ世代でも全共闘に興味のない人、反対だった人、それぞれ多いだろうから一律には言えないのだが、しかし改めて、ではそれぞれの立場で、どう云うつもりで生きているのか、とても興味がある。