お客様は神様か

先日、別件でコメントしたけれど、もうちょっと突っ込んで書いてみたい、お客様は神様なのか?について。

なんかね、私が嫌いな態度のひとつとして「俺は客だ!」ってのがあって。「お客様は神様」というフレーズがあるから、なんか勘違いしちゃったとしか思えない訳で。商売なんかでも、お客様あってこそ、という考え方は一面真理だし根強いけど、客もその店・商品を選ぶメリットや合理性があるから客になった訳で、実際はイーブンな取引関係であることを見逃しすぎ。

日本国では一般的な感覚として「お客様は神様」というフレーズが、美徳として、少なくとも抵抗なく、受け入れられているように見えます。数あるサービスの中からウチを選んでくれてありがたい、という気持ちは尊い

人と人が相対する時の、思いやりや謙譲の姿勢というのは日本人の美点であると思うのだけど、そのような丁寧さと、しかし、ビジネス上の顧客に隷属するようなセンスとは別のモノだと思うのだ。

すべてのビジネスは、顧客がいないと成立しないので、だから大切にするというのは分かる。しかし世の中は、顧客が大切であることを表す方法を間違えてきたのではなかろうか。結果、ビジネスの場において、客はエライという、妙な空気があたりまえ価しているのだ。

「俺は客だ!」という態度は、そのような空気が悪い形で現れたものだよね。そこまで露骨に高飛車ではなくとも、客の立場に立った途端に「基本、自分優位」だと、みんな普通に思ってない?


でも、ホントにそうなのか。選んでくれてありがたいけど、選んだからには顧客にも理由がある。選択有理。顧客は「特定のサービスを選択する」という行為によって、すでにビジネス上では売り手とイーブンの関係に立っているのではないか。

単純に言えば、お気に入りのラーメン屋と、そこでお昼を食べたい私との取引。確かにお金を払うのは私であるが、それは、あくまでお気に入りのラーメンに対する対価なのだ。そのラーメンの味を、顧客の私が求めている時点で、ビジネス上はイーブンでしょ。

提供された価値に満足して、その対価を払う。実にシンプルです。


価値と対価のバランスが取れていない場合は、ビジネス不成立。イーブンではないから。隣のまずいラーメン屋では食べたくない、とかね。うまいけど、値段高過ぎで近寄れないとか。

もしくは、食べたけどまずかったから2度と来ない、とか。こちらは一旦ビジネス成立*1してるけど、次はない。いずれにしろ、顧客は得た価値と対価が(おおむね)イーブンだと思う時に、(おおむね)妥当なお金を払うのだ。

思うに、この「お金を払う」という動きにしか目が向かない考え方が、「お客様*2」主義につながるのではないかね。なんだか現金の動きだけを追い続ける「家計簿主義」とでもいいましょうか(笑)。

ちゃんと複式簿記で処理すれば、お金の動き以外のコストや価値も見えてくるはずなのだけど。顧客が求めるサービスを提供できているからこそ、ビジネスが成立している、てな視点とか。でもここには現金の動きがないから、家計簿しか付けられない人には目に入らない。


つまり、世の中の係わり合いとしての対人態度の問題とは別に、顧客も売り手もビジネスの上ではあくまで対等。「顧客は私達の提供する価値を求めているのだ」というプライドを持って、売り手はビジネスすればいいのだ、という事ですよ。

お客様は(人として)丁寧に接するのが吉、だけど神様ではないのだ。

*1:食べたけどまずかったから2度と来ない、だけど一旦ビジネス成立:日本では、とりあえず注文したらどんなに不満があっても代金を払わねば食い逃げ扱い。厨房の頃「刑事コロンボ」で、出されたワインがダメになっていて怒った客(著名なソムリエ)が、ケシカランと帰ってしまう&レストラン側が恐縮なシーンを観て、アメリカすげー!彼の国では、サービスに不満があれば金を払わなくて良いんだ!と衝撃を受けた

*2:お客様:って言葉も、止めれば?と思うけど。顧客で良いでしょ。どちらも若干の手垢がありそうなので、いっそカスタマーにしちゃうとか。お子様、もどうかと思うけど、「お連れのお子様」をどう言い換えたらいいのか。お連れの子供、では日本語的に妙。