合理的な選択

昨日は、谷亮子民主党比例代表枠で出馬なんてニュースがあって、驚かしてくれましたね。それ以外にも今回は「タレント候補」がなにかと話題です。

選挙の度に著名人を候補に仕立て上げるという事がめずらしくない日本国ですが、政治家のみなさんは有権者の支持を得るべく真剣に選挙対策をしている訳で、こんな候補者がなくならないということは、結果的に「タレント候補」が選挙に有利であるという事が真である(あった)、という証明でありますね。

てな事を考えている訳ですが、「政治って所詮そんなモンだ」と諦観するのはまだまだ早い。事実はもっと酷い(笑)のではないかと以前から気になっております。

日本国での政治一般に対する感覚って云うものがあるとして、ソレに対して実はかなり違和感を感じる事があります。そうだな、政治には金がかかる、とか、政治家に求められる人物像、とか、政治家の仕事内容に対する認識、とか。具体的に列挙比較するほどまだちゃんと吟味してないんですが。

それはなぜかとの理由としてなんとなく予感しているのが、日本人が思い浮かべる政治って、ホントは政治ではないかもしれない、と云う仮説です。

所詮この程度の有権者が選んだ「なんちゃんて政治家」ばっかり、だなんてウソブクぐらいでは足りない、もっと全体的な何かがズレているんじゃないかと。そのうちまとめてみようと思ってるんですが、なんか手に余りそうだ(笑)。

いずれにしても、政治家の皆さんは、選挙の時には自分に益があるように、つまり有権者に投票してもらうための最善の手段を取ります。傍目からは妙に見えても、それは当選のための合理的な選択をしているに過ぎないという事は重要です。