たとえば、こんなケース。とあるファーストフード店に入り、注文の列に並んだ。しばらく待って購入後に席へ向かうと、なんと空いていたはずの席にはいつの間にか荷物が置かれ「押さえられて」いた。「押さえた」本人は後ろに並んでいる。
こんな時、私の頭の中は「モラルの無いバカ野郎」に対する罵詈雑言が鳴り響いております。曰く、それで気が利いてるつもりか?とか、自分だけ良ければいいのか?とか、どんなしつけを受けて来たのか?等々*1。
ところが一方、関西方面では逆に、先に席を押さえてから注文の列に並ぶのが当然、との旨の文章を目にしたことがあります。東京人の私は、どうよそれ、と思わなくも無いですが、冷静に考えてみれば、みながそのようなルールの下に行動できているのであれば問題ないことがわかる*2。
なるほど、とすると、ここでの問題は、「モラルが欠けた人の存在」というよりも、そのの前にまず「みなが共有出来る規範の欠如」のほうであることが浮かび上がってくる訳で。
冒頭の話に戻れば、私は「自分の注文を終えてから席に着くのが当然」と思っている(しかも、世間もそう了解していると理解している)。しかし関西では「まず席を確保してから注文に並ぶのが常識」と思っている(らしい)。不幸は、それぞれの規範の内容が違うことだ。
これにはいろんな理由が思い当たるのだけれど、結果として、現在の日本国はこの程度の生活上の規範も共有できない状態なのだ、という事は認めざるを得ないのだ。しかもその後に、さらにモラル問題が控えているという。これをタフと呼ばずしてなにをタフと呼ぶのであろう(水木調)。
あまりにもとりとめのないモラルの話はさておき、せめてウソでも共有すべき規範ぐらいは明確に出来ないものかな。守るか守らないかは別にして、赤信号では止まる、という事ぐらいみんな了解している、というような意味で。
他にも、花見の場所取り − シートだけ敷いて無人のスペースは場所取りノーカンだと思う − やフォーク並び*3 − これはたぶん、まだ仕組みを知らない人が少なからず居る − 等もおなじようなケースかと。
いまさらそんなことを、と思う人もあるでしょうが。なにも私は正義の志に燃えてこんな事を言っているのではなく、もうちょっと世の中スムーズに回らないかな、と思うのがまず第一。その点では極めて実利的です。モラルの事も気になることは気になるけど、こちらは二の次(笑)。