和の和音

4月に入って、平日にポンキッキが戻ってきました。その中で泉谷しげるが歌う「かわいいかくれんぼ」が使われているのですが、これを聴いてなんとも釈然としない気持ちに襲われてしまったのでした。

問題は歌の最後の部分、「だんだんだーれがめっかったー」のところです。ここが普通のマイナー和音で伴奏がつけられている*1のですが、これがどうも気持ち悪い。

作曲の意図としては、この部分はわらべ歌の引用であり、それまでの部分が西洋的な作法での「地の文」とすれば、それに対する情景の描写として存在すると云うものではないかと推察する訳ですが、ゆえにここは音楽的にも趣を変えて和風な扱いにしないとちょっと違和感が出てしまうのですね。

日本の音階が短音階と解釈されて、そのまま西洋音楽における短調として扱うのは間違っていると思うのですが、これは理屈というよりは、生理としてどうも違和感を感じてしまうのがまず最初にあります。

さて、この場合はどうするべきだったでしょうか。

ひとつには、そこだけ無伴奏にする、という考え方ができます。でもそれまでずっとピアノによる和声が鳴っていたのに、そこだけ無伴奏になるというのも、ちょっと唐突です。なんらかの工夫が必要でしょう。

普通に考えれば、やはりここは、なんらかの和風なコードを使うべきだったのではないかと。元々日本の伝統音楽には「和声」という考え方がないのですが*2、明治以降の西洋音楽からの日本和声へのアプローチによって、いくつかのポイントが指摘されています。

もっとも特徴的だと思われるものが、4度和音の使用です。この曲はキーGで演奏されているので、最後の和風部分は、ラ・レ・ソの和音が適当ではないかと感じます。これをそのまま使ってもいいし、これらの音を含むコード(例えば、Em7 on A とか)でもそれなりの感じになるのではないでしょうか。

ところで、いくら私が違和感があると思っても、そう思わない人がいるからあんなアレンジが成立するんだよなあ。そもそも、これを読んで、オマエは考えすぎだとか言いたい人もいるそうだなあ。悩ましいところです。

*1:曲のキーはGで演奏されていますが、この部分は2度マイナーであるAm一発で処理しています

*2:「和音」はあります。ここでの「和音」は同時に2つ以上の別の音が鳴る状態、「和声」は体系的な和音の連続使用、ぐらいの意味です。