外国人とのお仕事

観光旅行程度の英語にはそう不自由してないつもりですが、会社勤めをしていた頃は、仕事柄、実に頻繁に海外とのやり取りというものがあり、それは仕事の内容によってメールだったり電話だったり直接会ったりといろんなケースがあったのですが、正直英語が堪能とはいえない私としてはちょっと面倒なものでした。

しかしたとえばサーバートラブルなどが発生して、解決のためには米国のネットワークチームと連絡を取り合わなきゃならない、というような非常事態には、あんまり英語でやり取りしたくないとか言ってる場合じゃないわけで、むしろこちらから積極的に海外のチームに協力を要請しないといけないわけです。

英語力が増したわけでもないのに、その手の仕事が多い時期には、英語への不安感もドンドン麻痺してゆくという効果もありました(笑)。そんな中で感じていたのは、まあこちらも億劫だけど、私がもっと英語に堪能なら相手もかなり楽なんだろうという事でした。

さて、去年ほぼ一年間通して、昔勤めていた会社で2つのプロジェクトのお手伝いをすることになり久々に通勤ライフを送ったのですが、そのうちの1つで、いままでにはなかったタイプの海外とのやりとりというものを経験しました。

それは日本語で中国人たちとやり取りする、というものでした。やはりこちらがネイティブ・スピーカーですから、言葉の上で相手が苦労しないようにと、話し方やメールの内容にはかなり気を使いはしましたが、正直、日本語で済むというのはかなりラクだと思いました。実際のところ、それでもおそらく言葉が原因での勘違いなどはあるのですが、いつもは自分がこういう立場なんだよなあと妙にしみじみしつつ、彼らは外国語でやり取りしてくれてるんだからとフォローにまわるのでした。

確かに、私も直接やり取りする英語人にはずいぶん気を使ってもらっていたなあと思うのですが、それでふと思い出したのが、私が仕事で海外に出かけて言葉に難渋した時など、(特に米国人ですが)私達があなたの言葉がわからなくてごめんね、なんて言ってくれることがあるのです。いままでは単なる社交辞令だと思って居たのですが、外国人が自分達の言葉を使って仕事に参加しているという姿は、ああこれはある程度そういう気持ちを喚起させるようなシチュエーションなのかなあと。

反対に、英語を母国語としない外国人のなかには結構キビシイ態度を取られたこともあります。まあ仕事で英語を使うなら、もうちょっと何とかしろという事ですね。そういえば、去年のもう1つのプロジェクトがインド人と一緒で、それまでは単に発音が分かりにくいのかと思っていたのが、メールやチャットでも理解不能!?という局面に何度も立たされました。インド人の操る英語の中に、明らかに私が取りこぼしている何かがあるという事が判明したというわけです。昨今はIT系のお仕事をしていればインド人とのやり取りがどこで発生してもおかしくないので、目下の個人的な課題は、インド人ともう少しまともなやり取りが出来るようにする、であります(笑)。