ああ、一度こういうことをやってみたかったわけで。よしてるさんの日記にトラックバック返し。
まあこれが当時の一般的な風潮なのかどうかは不明ですが、とりあえずビートルズ、特にポール不遇の時代だったって話はよく耳にしますね。売れてたのに不遇というのも不思議な話ですが。
つまらない音楽*1やってるくせにケタ違いなセールスをたたき出すあたりが、宣伝力や資本の大きさによる商業主義と非難される所以ではないかと。まあ70年代前半に、ビューティフルな若者達からもっとも嫌われたモノのひとつですよね、商業主義。日本でもテレビに出ないとか妙なことをいうアーティストがたくさんいました。ポールはそういう立場からは遠いですからね。
その是非はおいといて、"McCartney"から"Red Rose Speedway"あたりの作品をリアルタイムで聞いてきた人間が、そんな愚痴のひとつも言いたがる気持ちもわからないではないです(笑)。今でこそ凄かったと思えますが。
80年代中盤以降「イデオロギーやポリシーをはっきり標榜するのがかっこわるい時代」に入ったことが、「ノンポリ」なポールを抵抗なく聴ける後押しをしたのかな、なんて思ったりもしますが。
しかあし、その頃からポールさん個人はセールス的にも落ち込んできて、ほとんど忘れられた人になってしまいます。なんとアンビバレントなことでありましょうか。あのまま浮上してこなかったら、はたしてサーになれたことかどうか。実際ギモンです。
まあ何にせよ、「位置」なんてけっこうあっさりと変わってしまうものですね。
これがね、ホントに。だからそんなモノは当てにはならん事を知れと、ビートルズ、というかジョンからはとっくに警告が出ているはずなんだけどな。さしあたって、ソレが当てになるかどうかなんて詮議はどうでもいい、他者はどうでもいいから自分で決めろってところですね。
まあ逆に言えば、最近はビートルズの評価も高値安定傾向が見られますが、いつこれが再びひっくり返らないとも限らないわけで。そしたら、また昔のように孤軍奮闘することになるのか、それとも私も見切りをつけてしまうのか。それは誰にもわからない。
それで、良いにしろ悪いにしろ、評価され続けるということは、評価者が常に存在するという事になるわけですが、新しい世代の人はビートルズを聴くのだろうか?聴くとしたらどんなきっかけがあるのだろうか?と思うわけです。実は今の日本の音楽シーンの中で、まったく想像がつかないわけですよ、これが。まあムリに聴かねばイカンということはありませんが。たぶん海外でも似たようなもんでしょうか。
そこに現れたのが、"BEATLES 1"というアルバムです。とりあえず、アルバムの価値が低落しているイマドキなシーン向けの商品としてはバッチリ。これから聴く人への、とっかかりの定番としても良し。
だと思ったのに。
ホントだったら、ありそうでなかった、ビートルズの一枚モノベストの決定版だったはずなのに、なんか妙な選曲。チャートで1位をとった曲シバリという明確な基準があるのに、なんでこんな妙な事ができるのか。まあ私はサー・ポールの仕業に違いないと言い切ってしまいますが、どうよ。後世の人がビートルズへの入り口と目安にするはずだったはずのマイルストーンをダメにしてしまった罪は重いぞよ。
そんな訳で、ちょっと目先を変えて。こんな本があります。
- 作者: 中山康樹
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 2002/06/01
- メディア: 単行本
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しかしまあ、この著者へのファンの不満はあちこちで見かけます*3が、自分の意見(多くは客観性に欠ける、という言葉を使っているが、たぶん単に好み、ですね)と違うからって、そこまで偏向扱いもすさまじい。そもそも本質的に公正中立な評論なんて在り得るのかね?とまでは言わないにしても、ちょっとぐらい極端に見える意見があってもイイじゃないか、と。この場合、ホントは誰もがどこか偏っているのが当たり前だぐらいに思っている方が、よっぽど健全にみえないかね?少なくとも自分の考える「中庸」がホントにそうであるかどうかの担保はどこにもない、はず。