本能に抗うのは難しいのこと

日ごろあまり意識していないとは思うけれど、食べ方を変えるというのは、ものすごくストレスがかかる行為です。たとえば、利き腕を怪我して、逆の手で食事するようなケース。

この場合、思う通り食欲を満たす事がままならず、ストレスが発生します。たまに左手でお箸を使ってみれば(右利きの場合)、すぐに実感できるでしょう*1

お箸の持ち方を変える、というのは、それが故に矯正するのがむずかしい。どうしても「食べたい」という本能に抗うことに直面して、大抵は失敗します。


ところで私は、18歳の頃までお箸がきちんと使えませんでした。いわゆるバツ箸ってやつで。

周りからは直せなどと言われるものの、本人は一向に不自由を感じていなかったので、適当に受け流してたんですね。でも高校の友人でしつこいぐらい突込みを入れるヤツが居て、あまりにウザくて(笑)少し考えを改めました。

でも少し考えを改めたくらいでは、箸の持ち方は変えられません。とにかくスムーズに食事できないことからくる圧はものすごく大きいので。


ところが、ちょうどうまい具合に利用できるシチュエーションがありました。当時バイトしていたお店では、決まった休憩時間はないけれど、食事時間が休憩時間、という事になっていた。

これを利用して、箸の持ち方を直しつつ、しかし、まごまご食べているので時間がかかり、その分休憩時間が増えるのだという事に気がついた。

食欲に対抗するために、休憩時間が増えるというインセンティブを発見したという事です。食べるのが遅いというだけで、別にサボってるわけでもないので、精神的にも問題ありませんでした。

おかげで、半年程で、箸の使い方が矯正されましたよ。それまでは気づかなかったけど、以前に比べて格段に箸使いの自由度が上がりました。


当時、こんなシチュエーションに恵まれて、ラッキーだったと思ったものです。あとウザいくらいつっこんできた友人にも感謝(笑)

食べることについて言えば、食べ方を変えるのも相当苦労がありそう。たくさん噛めとか、三角食べしろと言われても、なかなかできないとか。食べる早さとかもね。くちゃくちゃ音を立てて食べる人も、直すのはなかなか大変なんだろうと思う。

とりあえず、大きくなってこんな苦労を味わうなら、訳の分からない小さいうちにしつけとくのが吉だと、つくづく納得。


食べること以外でも同じこと。本能の欲求に負けて失敗した人って少なくなさそう。世間では意思が弱いと言われて終わりなのかもしれないけど、一方で、そんなキレイ事で済まないだろうと思うこともあり。是非の問題ではなく、別のイシューかと。

自分がタバコを止められたのも、あんまり意思の力とは思えないんだよねえ。それも多少はあったかもだけど、強いインセンティブや禁断症状を楽しむマゾ的要素(笑)を持ち合わせていたから、なんとかうまくいったって感じ。

とにかく、人間の本能に抗う所業というのは、実に行うのがむずかしいのだと、しみじみと感じ入るばかりです。

*1:たまに左手でお箸を使う:私の場合、10年ほど昔、利き手の右手を怪我して、1ヶ月近く左手で食事していた事があるです。お箸はそれなりに使えるようになり、スプーンは問題なし。一番難易度が高かったのは、フォークをくるくる回してスパゲッティを食べることでありました。不器用ゆえにスパゲッティをちゃんと食べられない欧米人の気持ちが良く分かった(笑)。