ニオイから細菌からのクリーン志向が過敏な件

個人的な印象ではありますが、日本国では年々社会環境が洗練されてきて、人々は昔よりも清潔さ・衛生面での感覚が敏感になっているような。

清潔さ、というのはちょっと違うかも。汚れだけでなく生活の中でのいろんな局面に潔癖さが求められているという感じ。そのような感覚、総合的な意味で、ちょっとぴったりな言葉が思い当たらないので、仮に「クリーン」としておきます。

例えば、今日のニュースにこんなのがありました。

 埼玉県鳩山町東京電機大・鳩山キャンパスが、通学用のスクールバスのにおい対策に乗り出した。

 9割を占める男子学生のにおいに耐えてきた少数派の女子学生が今夏、「バスに乗りたくない」と悲鳴を上げたためだ。猛暑の影響で、においが増したらしい。香りを放つ機器を設置して好評を得たものの、根本的な解決にはほど遠い。香りに関する研究をしている教官のグループが対策を継続するという。
(後略)


たぶん、(ここは女性ではなく、あえて)女子にとって同じような不快感は大昔からあると思うのだけど、例えば40年前の女子大生が、同じ状況でこんな反応をしただろうか?

私の印象では、今の若い女性は数十年前の若い女性よりも、「この手の不快さ」への耐性がはるかに弱いように見える。40年前の女子大生だって「臭うなあ」とは思っただろうけど、「乗りたくない」とまでは言わなかったろう。

これは社会全体が40年前よりはるかにクリーンなっているから、というのがひとつあるのだと思う。当たり前なクリーンさの基準が違う。いや、これは乱暴な言い方か。社会環境が全体的に昔よりクリーンかどうかは、他にもいろんなパラメーターを考慮する必要がある。

そんな事もあるけれど、どうも今の日本社会は、以前と比べて「何を以ってクリーンか」と思う部分に違いが出てきたのではないか。より人工的・無菌的な状態を当然のクリーンさ、もしくは「文化的な生活」として求めている人が多いのではないか。

そんな事を思ったのは、ぼんやり読んでいた「発言小町」がきっかけだった。何かのトピックで「おにぎりはラップを使ってにぎるもの、素手でにぎるなんてあり得ない」という意見が多くの若い(らしい)女性から発せられているのを目撃したため。

その理由は「不潔だから」。一人や二人じゃないですよ。こんな意見がマジョリティーだったのだ。うーん、私は時代について行けてないな、と目眩がする思いでしたよ。

スシ職人などは「プロとして当然の衛生対応をしているはず」だから良いらしい。どこから来るんだこの信頼。たぶん念入りに手洗いしてるだけだと思うけど。たぶん家のおかあさんでも出来るはず。少なくとも病院でICUに入る前みたいな事はしてないと思うけど。

まあそんなクリーン感覚を持った、若いお母さん達が増えてきているということらしいですよ。たぶんこんな感覚って昔にはなかった事だと思うし、逆に昔の人から見たらびっくりなクリーン感覚も今の世の中にはあるのだと思う。基準が変わったのだ。


このようなクリーン感覚を生む土壌として、最初に触れたように社会全体の衛生度が上がってるという事もあるだろうけど、もう一つ根本的な事かもしれないと想像するのは、食べ物、特に肉に対する感覚。

昔に比べれば、生きていた家畜が「処分」されて販売されて食卓に上る、という感覚が希薄になっていないか*1。社会の分業化が進み、初めからお肉屋・お魚屋さんの向こう側を意識しないで育つ人が多いのだから、食料を人工的・無菌的な感覚で捉えていても無理はないけど。


まあそんなクリーンな人たちですが、別に非難とか、「心を改めよ!」とか言いたい訳ではもちろんないです。素手でにぎったおにぎりを食べられなくても、電車につり革につかまれなくても、まあ、本人の勝手だろうし、もっと重要な事には、没交渉な私がとやかく言われる事もないので。

でも、余計なお世話だけど、ちょっと心配になります。海外に行ったらストレスたまりそうだし、何かの理由で今の日本国の「文化的な生活」が崩壊したらどうするんだろう?(先日、TVで映画「日本沈没」を観たから、容易にこんな想像が出てくる。笑)

人間もしょせん動物、ニオイもあるし雑菌まみれ、とまでは言わないけど、昔の人はもっとワイルドに生きていたはず。今から見れば無知もあるけれど、それだけで人間生活として後れたものだと云う事になるんだろうかね。

*1:生きていた家畜が処分されて:屠殺という字がウィンドウズでは変換できなかった。これって意図的?