真実は100年後に

ぺこちゃんのページに、マーク・トウェインが自伝を100年間封印していたという話がありました(2010-05-29 100年後の自伝と小豆拾い)。

封印の理由は憶測を呼んでいるらしいけど、なぜだかはっきりとは分かっていないようです。よほど言いにくいことを書いているのか(笑)。それにしても、100年経っても読んでくれる人が居るという確信がないと言えないことです。

それでふと思ったんですが、海外には時々○○年間封印、みたいな資料がありますよね。パッと思いつく所で、ケネディ大統領暗殺に関するものと、ジョンレノン暗殺に関するもの。

証拠物件の公開が政府によって、2029年(下院暗殺調査委員会)もしくは2039年まで不自然にも制限されている。資料はアメリカ公文書図書館に保管されているが公開されるのは2039年とされている。しかし、現在でも資料の多くが紛失しているため、2039年に公開されても完全に真実が明らかになるかどうかは未知数である。

捜査ファイルは、20日にウェブサイト(www.lennonFBIfiles.com)上に公開された。カリフォルニア大学のジョン・ウィーナー(Jon Wiener)教授や人権団体らは、長年にわたって捜査ファイルの公表を要求してきた。1981年には、いちど、要求が却下されている。裁判所は2004年に公表を命じる判決を下していたが、FBIはこれに従わず、19日になってようやく合意。しかしながら、公表された内容はほとんどが既知の事実であり、「無味乾燥」で、注目に値するとは言いがたい。

なかには情報公開を封印するとはケシカラン!という向きもあるかと思います。でもこれは、情報は公開するけれど、当事者が居なくなってからね、という事なんでしょうが、まあ公開するだけマシ、という気もしますね。日本では聞いたことが無い話なので。

日本では○○年後に公開って話を聞かないという事は、いつでも情報はすぐ公開しているという事ではなく、反対に、法律等で強制されなければ公開するつもりなんてまったくない、って事ですよね、たぶん。


トラブルとその原因の調査に関して、日本ではついつい犯人探しのような論調になりがちであり、個人追求が厳しくならぬよう、調査結果の報告に手心を加えたような曖昧さが残ることがあるが、米国では責任の追及より再発防止を重視するため、徹底的な原因究明を行う。

というような話を耳にした事があります。実際はケースバイケースなんでしょうが、確かに社会のあり方として、さもありなんという気がしなくも無い。柳田邦男の「マッハの恐怖」なんか読むと余計にそんな気にさせられる。


なんだかんだで、しかし最終的に情報は公開しますよ、というのは、もう当事者の責任追及なんかどうでもいいから、とにかく事実を明らかにして、システム的に何か問題があるのであればその問題点を修正しようじゃないか、という事なのかしら。

○○年のあいだ封印する、というのは、そのためのシクミ。

であればいいなあ。