着メロの罠

ダウンロードなどで手軽にデータを入手でき、携帯での着メロ文化花盛の観もある今日この頃。割とみんな平気で人前で音を鳴らしてるけど、その人の音センスをさらけ出すスリリングな行為であることだよなあ、と以前から気になっていたですよ。

という話をしたら、一般の人にそこまで要求するのは厳しいというご指摘を受けまして。しかし私が厳しいとか厳しくないとかいうより、多くの人が気づかないうちに丸見え状態、という状況が珍妙かつ緊張感あるなあ、と面白がっているだけでして(笑)。

着メロのセンスについて思うのは、まず選曲的なレベルの話があるのだろうけど、まあそれは個々の趣味に関わるキリがない話で。まあ、さらしているという点では誰に何を言われるか分からないというスリルは確実にあると思うけど。

次にはアレンジの話。これは仕事で作った人の責任だけど、時々聞いてて哀しくなるようなものもあります。そんなことになっているとはつゆ知らず、ソノ曲が好きだからと使っている人をみるのは痛ましいなりよ。

それから音色・音量の話。いわゆる電子音*1は論外。最近は携帯に内蔵された音色も充実して、物理的にあまり抵抗を感じないものが増えたのは喜ばしいのですが、総体的に、どうもイタイやつほど音がデカイという傾向あるのではないかと*2

着メロって明らかに他人の耳を前提とした発想だと思うのですが、デカデカと鳴らす人は「オレ様の着メロを聞け!」的ジャイアン度がかなり高いんでしょうか。しかしそういう人は、やはり結果的にそれなりの音センスって事を裏付けてしまっているような、まさにこちらもジャイアンぶり(笑)。

しかしまあ、かく言う私もこんな所で駄文を書き散らして、書き手の程度をさらけ出すというスリリングな行為に出ているとも言えるわけでして、まあ、どっちもどっちか(笑)。

*1:一昔前の、電話の保留音とか、あんなのです。

*2:「イタイ」も「デカイ」も私内基準ではありますが